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2023年05月10日
5月10日の記事
木を植えるとき
粗朶や炭などを使い土の中の空気や水の循環を良くし
菌などの微生物や小さな生きものたちが喜ぶ環境がつくれると嬉しくなる
石積みもそう
石の隙間は空気や水が循環し
小さな生きものたちも棲みやすくなる
こういうことができると、自然、地球、宇宙といった大きな命の一員として積極的に参加できているような気持ちなり、私の命は喜びに満ちてくる。
子供や孫、今の私が出会うことはない未来の子供たちのために
すこしでも地球をきれいにしておきたい
すこしでも命豊かな自然を増やしておきたい
これが今の私の原動力のひとつです
そしてもうひとつ
今の世界がそれとは真逆に進んでいる
その根っこにあるものを多くの人たちと一緒に理解していきたい
今の社会は人間の思考によって作り出されています
すばらしいものもあれば
腐敗した社会とでも言いましょうか、利己的で、狡猾で、残酷なものなどもたくさんあります
思考はいつも比較相対の世界にいて
比較することは思考の能力となる
善悪、優劣、損得・・・
必ずいつも対照的なものがコインの裏と表のように一組になってしかあらわれないのが思考の世界
だから思考が作り出す世界は、喜ぶ人がいるとき、必ず苦しんでいる人がいるということになる
これが思考が作り出している今の世の中の姿
私たちは小さな頃から、よく考えるようにとしつけられてきた
よく考え、どうやったら自分にとって、あるいは自分の身近なことについて、有益となるかをだ
だからもし、自分にとって有益なことが実現したとして
その裏側で、あるいは自分が気づかないところで苦しんでいる人を生み出していることになってしまう
私たちは、思考について全く理解しないまま
何千年も歴史に人間の生きざまを刻んできたのです
私は多くの人達が思考についての理解をすすめていかなくてはならない時期に来ていると感じています
知ってほしいのです
気づいてほしいのす
私たちひとりひとりの内面には
思考と思考ではないもの、それを見分け観察できるものがあることを
思考ではないものは
うわぁー、やってみたい!とか
ワクワクする!とか
思考が起こる前の湧きおこる気持ちのようなもの
この世界には比較相対の感覚はないのです。
自他の別もないから、ひとつながりの大きな命の中にある状態です。
だからその世界では苦しみ続けるということができなくなる
もし苦しんでいる人がいるとしたらすぐに誰かが「大丈夫?」とそばにきてくれるから。
知ってほしいのです
大きな命とひとつながりとなって生きる喜びを
百人いたらそれぞれ命輝くことは違うはずです
自分の命が喜ぶことは何なのか、自ら感じてください
何かに頼るのではなく、自分の内にそれはありますから
あきらめずに、根気よく、気をつけて、気づいてください
特別なことではなく
誰にでもできることですから大丈夫です
ただ、木が花を咲かせる時期があるように
あなたのタイミングでそれは見つかりますので
あきらめずに、自己の内を見続けてください
木が花を咲かせるためには、たくさんの栄養と、ある程度の成長が必要です。
あなたにとっての栄養は、いいことも辛いこともある人生経験です。
いろんな経験がすべて栄養になります。
思考はそれぞれの人が感じる命の喜びをこの世界で実現するための補佐役でることを知ってください。
思考は敵ではなく、この世界で生きていくための重要なパートナーです。
今の社会は、その補佐役である思考が、自分の役目を理解せず、自分が主であると信じ込みつくり出したものです。
思考がそのことを理解すれば、本来あるべき姿になります。
子や孫、未来の子供たちのために
命豊かな自然を増やしたい
すこしでも地球をきれいにしたい
ここまで自然を破壊し、人間が人間の自由を奪い、苦しめる社会をつくってしまった人間の内面の理解を多くの方々と進めていきたい
これからはそんな内容が多くなるかと思います。
お嫌でなければどうぞお付き合いくださいませ。
Posted by 艸木 at 16:23│Comments(0)