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2023年09月09日

9月9日の記事

9月9日の記事

屋根に竹をのせました。
棕櫚縄で竹を括り付けていきます。
棕櫚縄は使う前に水に浸しておきます。
そうしないとギュッと締まらないし、扱いにくいです。


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竹の隙間が狭くて棕櫚縄を通せないときは、鋏とかを差し込んで隙間を広くして通します。


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昔読んだ本で佐野藤右衛門さんが「棕櫚縄は使う前に水で浸しておく、それが日本の伝統や。」みたいなことを言っていました。
長い間、伝統と権威権力をひとまとめにしてしか見れなかったものですから、その頃は素直にその言葉と接することができませんでした。
生きていくことに必要だったり役だったりすることが伝統として引き継がれています。
あっ!そんなことなの!っていう、ほんと、わかればどうということの程でもないことですが、知らないとどうにもできないこと。


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突然ですが、きれいな海!
「これは直に接したい!」ということで砂浜に降りてみました。



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人のためのビーチではないので、砂浜に降り立つには写真のような原生林みたいなところを搔い潜って行きます。
クチャの上にはたくさんの落ち葉。
どんどん歩いて行くと、次第にクチャと海砂が混ざり合うようになり、アダンも多くなってきました。
そこにも変わらずたくさんの落ち葉がありました。
そして、砂浜に降り立ち、海に向かうと・・・。

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一番初めにお出迎えしてくれたのはウツボでした。
浅瀬を泳いでいたことに驚きましたが、出会えたことに感動!



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ヤドカリもたくさんいました。
数百匹どころか数えきれないほどのヤドカリの子供たちが群れをなしていました。
アダンもあるし、食べるには事欠かないということでしょう。
他にも魚やカニ、名前もわからない生き物たちで溢れかえっていました。
この多くの生き物たちを育んでいる一つの要素として、豊かな山林があります。
山での生き物たちの活動による落ち葉や微生物などのおかげで多くの養分を含んだ水が海へと流れていくことがどれほど海の生き物たちにとっての滋養となっていることか。
ちょっとイメージしてみてください。
ここの海に接している山が、更地にされてすべてコンクリートやアスファルトで埋め尽くされ、落ち葉もないような景観を。
そのことにより、海はどうなってしまうのかを。

山も海も川も、地球に棲む多くの生き物たちも、人間もひとつながりの命です。
人間が山や海の健康を損なうようなことを行えば、いずれそれは人間自らに返ってくることは、明らかなこと。

多くの人間が自然と共に、自然と共に生き、暮らしていた頃もありました。
今は個人の目先の利益が優位となり、全体との調和を気にかけることが少なくなったと感じるのは私だけでしょうか。
もちろん、全体の調和を優先し、個人を犠牲にすることはあってはなりません。
個人個人が生涯にわたり自分で自分の内面を成長させることは最重要と言ってもよいのではないかと私は思っていますので、全体のために自分の内面の成長を放棄するようなことはNOなのです。
全体のことと個々のことのバランスは大切です。
健康であったり、明るく元気であったり、暮らしやすく信頼できる社会であったりすることは、個々人が自らの内面と向き合い成長させるためによい環境を整える、基盤をつくるということになるのではないかと私は考えています。
成長のためにはしばしばネガティブな出来事が必要となりますが、その壁に対峙するとき、そのような基盤があるのとないのとでは向き合い方が違ってくるのではないでしょうか。
そうした基盤づくりの一環としての庭づくりであったりもするのです。
自然環境をよくするために技術的にあれをしようこれをしようというのは、やろうと思えばできるものです。
それをするときに、自己の内面の成長を置き去りにしてはいけないのです。
その両方を意識して行えることが心のこもった仕事と言えるんじゃないかなぁ思うのです。


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豊かな自然は一朝一夕になったものではありません。
永い年月をかけて自然が作り出したものです。
たくさんの時間といろんなことがあって作られたのが今私たちが目にしている愛ある自然の姿。











Posted by 艸木 at 12:29│Comments(0)
 
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