2023年06月01日
6月1日の記事
炭焼窯を作っています。
材料は赤土、砂、石灰、海水。
自然に返せる材料だけです。
作り始めの頃。
炭焼窯には屋根をかけないつくりにしたいので赤土に石灰などを混ぜて作っています。
少しずつ少しずつの進み具合。
石は売るほどあるので使えそうな石は何でも使ってます。
窯の天井がふさがりはじめたところです。
もうちょっとで天井がふさがる。
これを応用すれば、ピザ窯や庭の一画に小さな隠れ家なんかも作れそう。
他にもあれもこれもと次々にアイデアが湧いてニヤニヤがとまらない。
Posted by 艸木 at
16:50
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2023年05月10日
5月10日の記事
木を植えるとき
粗朶や炭などを使い土の中の空気や水の循環を良くし
菌などの微生物や小さな生きものたちが喜ぶ環境がつくれると嬉しくなる
石積みもそう
石の隙間は空気や水が循環し
小さな生きものたちも棲みやすくなる
こういうことができると、自然、地球、宇宙といった大きな命の一員として積極的に参加できているような気持ちなり、私の命は喜びに満ちてくる。
子供や孫、今の私が出会うことはない未来の子供たちのために
すこしでも地球をきれいにしておきたい
すこしでも命豊かな自然を増やしておきたい
これが今の私の原動力のひとつです
そしてもうひとつ
今の世界がそれとは真逆に進んでいる
その根っこにあるものを多くの人たちと一緒に理解していきたい
今の社会は人間の思考によって作り出されています
すばらしいものもあれば
腐敗した社会とでも言いましょうか、利己的で、狡猾で、残酷なものなどもたくさんあります
思考はいつも比較相対の世界にいて
比較することは思考の能力となる
善悪、優劣、損得・・・
必ずいつも対照的なものがコインの裏と表のように一組になってしかあらわれないのが思考の世界
だから思考が作り出す世界は、喜ぶ人がいるとき、必ず苦しんでいる人がいるということになる
これが思考が作り出している今の世の中の姿
私たちは小さな頃から、よく考えるようにとしつけられてきた
よく考え、どうやったら自分にとって、あるいは自分の身近なことについて、有益となるかをだ
だからもし、自分にとって有益なことが実現したとして
その裏側で、あるいは自分が気づかないところで苦しんでいる人を生み出していることになってしまう
私たちは、思考について全く理解しないまま
何千年も歴史に人間の生きざまを刻んできたのです
私は多くの人達が思考についての理解をすすめていかなくてはならない時期に来ていると感じています
知ってほしいのです
気づいてほしいのす
私たちひとりひとりの内面には
思考と思考ではないもの、それを見分け観察できるものがあることを
思考ではないものは
うわぁー、やってみたい!とか
ワクワクする!とか
思考が起こる前の湧きおこる気持ちのようなもの
この世界には比較相対の感覚はないのです。
自他の別もないから、ひとつながりの大きな命の中にある状態です。
だからその世界では苦しみ続けるということができなくなる
もし苦しんでいる人がいるとしたらすぐに誰かが「大丈夫?」とそばにきてくれるから。
知ってほしいのです
大きな命とひとつながりとなって生きる喜びを
百人いたらそれぞれ命輝くことは違うはずです
自分の命が喜ぶことは何なのか、自ら感じてください
何かに頼るのではなく、自分の内にそれはありますから
あきらめずに、根気よく、気をつけて、気づいてください
特別なことではなく
誰にでもできることですから大丈夫です
ただ、木が花を咲かせる時期があるように
あなたのタイミングでそれは見つかりますので
あきらめずに、自己の内を見続けてください
木が花を咲かせるためには、たくさんの栄養と、ある程度の成長が必要です。
あなたにとっての栄養は、いいことも辛いこともある人生経験です。
いろんな経験がすべて栄養になります。
思考はそれぞれの人が感じる命の喜びをこの世界で実現するための補佐役でることを知ってください。
思考は敵ではなく、この世界で生きていくための重要なパートナーです。
今の社会は、その補佐役である思考が、自分の役目を理解せず、自分が主であると信じ込みつくり出したものです。
思考がそのことを理解すれば、本来あるべき姿になります。
子や孫、未来の子供たちのために
命豊かな自然を増やしたい
すこしでも地球をきれいにしたい
ここまで自然を破壊し、人間が人間の自由を奪い、苦しめる社会をつくってしまった人間の内面の理解を多くの方々と進めていきたい
これからはそんな内容が多くなるかと思います。
お嫌でなければどうぞお付き合いくださいませ。
Posted by 艸木 at
16:23
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2023年05月02日
虹亀商店さんの命をつなぐ庭 (命が循環する庭)
自宅からすぐ近くのお客さまから植栽のご相談。
紅型雑貨 虹亀商店さまです。
打合せにお伺いしますと伐開された隣地がありまして
そこには伐採されたたくさんの枝や幹。
所有者さんの許可を得て、それらをつかって木を植えることになりました。
滑り台の横にブーゲンビレアを植えたいというリクエスト
こんな感じの仕上がりです。
ここにはサンダンカとアラマンダを植えることに。
まずは植える場所をこんな感じにしまして。
そこに木を置いて土を盛ります。
階段の横は、バナナをモンパノキに植替え、フクギも手前に植えることに。
伐採された木。
こうして命をつないでいけると嬉しくなる。
私の命が喜ぶんだよね。
Posted by 艸木 at
08:14
│Comments(0)
2023年04月10日
4月10日の記事
明日、4月11日お昼頃から焚火用の炉というかカマドというかそんな感じのものを当方の敷地でつくります。
今日は夕方から琉球石灰岩で写真のような炉の土台をつくりました。
明日の午前中は土台作りの続きをして、お昼頃から土を練って炉づくりをします。
ご興味のある方、ちょっぴり体験してみたい方がいらっしゃればご連絡の上お越しください。
特に保険などはないので、ケガなどは自己責任でお願いいたします。(乱暴ですみません)
作業的にはゴム手袋があるといいです。
赤土に石灰や藁を混ぜて泥団子にして炉をつくります。
興味のある方には面白がっていただけるかと。
ご連絡はatliresoumoku@yahoo.co.jpまでお願いします。
Posted by 艸木 at
19:12
│Comments(0)
2023年02月20日
庭の喜び #2
雨が降り、川となり海となる。
雨は山、人里、町の土中を浸透し川や海に流れ込む。
あるいは、土の表面を流れそのまま川や海へ。
そして、雲になり、また雨に。
あたりまえの水の循環。
私は水道が普及しはじめようとする頃に幼少期を過ごしたので
地球がろ過してくれる水の美味しさを知っている世代のひとりです。
農薬や除草剤に限らず、人間がつくり出した多くのものが土壌や水を汚してしまい、
飲むことができる湧き水や地下水はずいぶんと少なくなってしまった。
水を汚染し続けるなら地球のいきものたちも健康を損なうのは当然で、
もちろん私たち人間もそのなかの一員。
地球規模の自然破壊や環境汚染を目の前にすると
一個人としては、あまりに非力でできることは何もないなどと思うこともあるかもしれない。
しかし、決してそんなことはないのです。
それぞれの立場でいろんなことができることを知ってください。
もし庭をお持ちの方であれば、その庭を地球の「ろ過装置」とすることもできるでしょう。
土中への水の浸透、水と空気の循環を考え、
土の中に炭や枝葉などの有機物や小石や礫などを入れ込めば立派なろ過装置のできあがりです。
それがうまく機能しているかどうかを確認することもできます。
うまく機能していれば、植えた木々は元気に育ちます。
あわせて、土をむき出しにせず、落ち葉などで覆います。
すると、いい菌が発生し、森の中のようないい香りがしてきます。
こうなれば、しめたものです。
その庭を浸透した雨水は、空気を動かしながら養分を含み浸透していってくれますので、
地中の生命活動も豊かになってくるでしょう。
その水が川や海へとつながれば、海の生命活動も豊かになります。
もうおわかりですね。
幸いにも庭があるという方は、地球のすこやかな循環、水の浄化ということに積極参加ができることに。
庭の木々もすこやかに育ちますので、空気もきれいにしてくれますし、
鳥などのいきものたちも喜んでやってくるようになるでしょう。
庭はいのちを豊かにしてくれます。
「地球」と「たくさんのいのち」の循環をすこやかなものにしていくことができるのも庭です。
庭に小石や礫、炭、枝葉などの有機物を入れ込む。
土をむき出しにせず落ち葉で覆い、いい菌を育む。
こんな簡単なことですこやかな循環がつくれるのです。
こういうことは、身近なことで、すぐにやれることなのです。
沖縄には数えきれないほどの家が建ち、数えきれないほどの庭があります。
すべての庭がそうなったらと思うとワクワクしてきます。
写真は石垣で土留めをした庭です。
コンクリート擁壁での土留めが主流となっていますが、コンクリート擁壁は空気と水の循環を遮断してしまいます。
自然を大切に考え、はじめから石垣を希望されていらっしゃるお客様でした。
駐車場もコンクリートで塞ぐことをせず、転圧したクラッシャーランの上に琉球石灰岩の砂利を敷いてつくりました。
土地が呼吸できるようにすることは、すこやかな循環をうながします。
雨は山、人里、町の土中を浸透し川や海に流れ込む。
あるいは、土の表面を流れそのまま川や海へ。
そして、雲になり、また雨に。
あたりまえの水の循環。
私は水道が普及しはじめようとする頃に幼少期を過ごしたので
地球がろ過してくれる水の美味しさを知っている世代のひとりです。
農薬や除草剤に限らず、人間がつくり出した多くのものが土壌や水を汚してしまい、
飲むことができる湧き水や地下水はずいぶんと少なくなってしまった。
水を汚染し続けるなら地球のいきものたちも健康を損なうのは当然で、
もちろん私たち人間もそのなかの一員。
地球規模の自然破壊や環境汚染を目の前にすると
一個人としては、あまりに非力でできることは何もないなどと思うこともあるかもしれない。
しかし、決してそんなことはないのです。
それぞれの立場でいろんなことができることを知ってください。
もし庭をお持ちの方であれば、その庭を地球の「ろ過装置」とすることもできるでしょう。
土中への水の浸透、水と空気の循環を考え、
土の中に炭や枝葉などの有機物や小石や礫などを入れ込めば立派なろ過装置のできあがりです。
それがうまく機能しているかどうかを確認することもできます。
うまく機能していれば、植えた木々は元気に育ちます。
あわせて、土をむき出しにせず、落ち葉などで覆います。
すると、いい菌が発生し、森の中のようないい香りがしてきます。
こうなれば、しめたものです。
その庭を浸透した雨水は、空気を動かしながら養分を含み浸透していってくれますので、
地中の生命活動も豊かになってくるでしょう。
その水が川や海へとつながれば、海の生命活動も豊かになります。
もうおわかりですね。
幸いにも庭があるという方は、地球のすこやかな循環、水の浄化ということに積極参加ができることに。
庭の木々もすこやかに育ちますので、空気もきれいにしてくれますし、
鳥などのいきものたちも喜んでやってくるようになるでしょう。
庭はいのちを豊かにしてくれます。
「地球」と「たくさんのいのち」の循環をすこやかなものにしていくことができるのも庭です。
庭に小石や礫、炭、枝葉などの有機物を入れ込む。
土をむき出しにせず落ち葉で覆い、いい菌を育む。
こんな簡単なことですこやかな循環がつくれるのです。
こういうことは、身近なことで、すぐにやれることなのです。
沖縄には数えきれないほどの家が建ち、数えきれないほどの庭があります。
すべての庭がそうなったらと思うとワクワクしてきます。
写真は石垣で土留めをした庭です。
コンクリート擁壁での土留めが主流となっていますが、コンクリート擁壁は空気と水の循環を遮断してしまいます。
自然を大切に考え、はじめから石垣を希望されていらっしゃるお客様でした。
駐車場もコンクリートで塞ぐことをせず、転圧したクラッシャーランの上に琉球石灰岩の砂利を敷いてつくりました。
土地が呼吸できるようにすることは、すこやかな循環をうながします。
2023年02月08日
庭の喜び #1
私が子供の頃、建設反対の声もあがる中、泊発電所(原子力発電所)の建設が進められることとなりました。
今思えば、このことは私が地球の環境ということについて初めて考えるきっかけとなるできごとでした。
それから社会人となり、自分は何をしたいのかを探しながら、長いこと職を転々とすることになります。
「地球を大切にすること」
「自分がやりたいこと」
その合流地点が「庭」でした。
各家庭の庭が大切にされれば、地球も大切にされるだろう。
そんな思いで庭の仕事をはじめたのです。
それから20余年、庭が好きで、庭を大切にしたいと思う人たちとの出会いもあり、庭は雑事をこなさなければならない面倒な場所と思っている人たちとの出会いもありました。
実際に仕事をしてみると、後者の方々との出会いが圧倒的に多いのが現実でした。
これじゃ、地球を大切にするなんてほど遠いことだと打ちひしがれたことも何度もあります。
「庭や地球を大切にする」「地球にやさしい暮らしをする」「庭と地球を愛する」のは人間にとって何でそんなに困難なことなのだろうか。みんな言葉では理解できているんです。でも何でだろうと追究していくうちにあることに気づいたのです。勿論、仮説ではありますが。
庭を大切にすることは、地球を大切にすること。
地球を大切にすることは、庭を大切にすること。
それはそれでいいのだが、「庭」と「地球」だけではなく「自分自身」ということが抜けていたんですね。
ひとりひとりが自分の中に持っている「心という庭」が抜けていたんです。
自分を大切にできてはじめて庭や地球を大切にできるんです。
自分を大切にできなければ、庭どころじゃないんです。
たくさんのストレスを抱えたまま日々を過ごし、そのストレスに向き合いケアをすることもなく、ストレスを無視したり、抑えつけたり、スマホやテレビなどでごまかしたりしていれば、心の中は荒れ放題(心の庭は雑草で荒れ放題)となってしまっているのです。
そんな心の状況では、庭なんて面倒くさい厄介者としか思えないこともあるかもしれません。
そうなってしまうと庭や地球を大切にするなんてことは、言葉ではわかっていてもそれどころじゃないでしょう。
まず何よりも、自分のことを大切にする、自分の心の庭のお世話をするということが大切になります。
庭のお手入れをしながら自分の心のお手入れをすることもできますし、その方法もあります。
心・庭・地球のお世話をするって気持ちのいいものです。
もちろん、その途中途中でしんどいこともありますが、結果、スッキリします。
たくさんの人たちが自分自身のお世話をして大切にし、それが隣りの人や庭や地球にもひろがりをみせるのなら幸せです。
そのようなわけで、これからは庭を通して私がこれまでに感じてきたことを少しずつ書きとめていこうと思います。
今思えば、このことは私が地球の環境ということについて初めて考えるきっかけとなるできごとでした。
それから社会人となり、自分は何をしたいのかを探しながら、長いこと職を転々とすることになります。
「地球を大切にすること」
「自分がやりたいこと」
その合流地点が「庭」でした。
各家庭の庭が大切にされれば、地球も大切にされるだろう。
そんな思いで庭の仕事をはじめたのです。
それから20余年、庭が好きで、庭を大切にしたいと思う人たちとの出会いもあり、庭は雑事をこなさなければならない面倒な場所と思っている人たちとの出会いもありました。
実際に仕事をしてみると、後者の方々との出会いが圧倒的に多いのが現実でした。
これじゃ、地球を大切にするなんてほど遠いことだと打ちひしがれたことも何度もあります。
「庭や地球を大切にする」「地球にやさしい暮らしをする」「庭と地球を愛する」のは人間にとって何でそんなに困難なことなのだろうか。みんな言葉では理解できているんです。でも何でだろうと追究していくうちにあることに気づいたのです。勿論、仮説ではありますが。
庭を大切にすることは、地球を大切にすること。
地球を大切にすることは、庭を大切にすること。
それはそれでいいのだが、「庭」と「地球」だけではなく「自分自身」ということが抜けていたんですね。
ひとりひとりが自分の中に持っている「心という庭」が抜けていたんです。
自分を大切にできてはじめて庭や地球を大切にできるんです。
自分を大切にできなければ、庭どころじゃないんです。
たくさんのストレスを抱えたまま日々を過ごし、そのストレスに向き合いケアをすることもなく、ストレスを無視したり、抑えつけたり、スマホやテレビなどでごまかしたりしていれば、心の中は荒れ放題(心の庭は雑草で荒れ放題)となってしまっているのです。
そんな心の状況では、庭なんて面倒くさい厄介者としか思えないこともあるかもしれません。
そうなってしまうと庭や地球を大切にするなんてことは、言葉ではわかっていてもそれどころじゃないでしょう。
まず何よりも、自分のことを大切にする、自分の心の庭のお世話をするということが大切になります。
庭のお手入れをしながら自分の心のお手入れをすることもできますし、その方法もあります。
心・庭・地球のお世話をするって気持ちのいいものです。
もちろん、その途中途中でしんどいこともありますが、結果、スッキリします。
たくさんの人たちが自分自身のお世話をして大切にし、それが隣りの人や庭や地球にもひろがりをみせるのなら幸せです。
そのようなわけで、これからは庭を通して私がこれまでに感じてきたことを少しずつ書きとめていこうと思います。
2022年11月23日
赤土と琉球石灰岩の塀
沖縄の赤土と琉球石灰岩の塀です。
どんなの土の配合でカタブイや台風に耐えられるかの実験なので塀に屋根は付けず雨ざらしです。
庭を作りかえようなんて時は、赤土は水を混ぜて捏ねればまた使えるし、琉球石灰岩も繰り返し使える。
もし不要になってもそのまま土に返せばいい。
土はまだ全然乾いていない状況で、今日の雨は嬉しい!
どうなるか楽しみだ。
塀の一番下の石は四角っぽくして並べたいので割っていきます。
割りたいところに線を入れて割っていきます。
四角っぽくしたら並べます。
あとは適当に土と石を重ねます。
2022年11月10日
雨の日の庭
石垣越しに見る庭。
雨の日にのんびり庭を見るのもいいものです。
次はどうしようか、ああしよう、こうしようと想像しながら楽しんでおります。
石垣から奥の方をのぞき込むとテラスの一部がちょっとだけ見えます。
自然に囲まれ安らぎを味わえるのが庭のいいところ。
庭ってやっぱりいいなぁ。
2022年10月13日
名護市N邸の石積み
N邸での仕事が完了しました。
まずは石垣から。
玄関を開けると石垣のお出迎えです。
歩みを進め玄関ポーチへ。
(突き出た塩ビ管は後日水道屋さんがカットしてくれます。)
ワンちゃん達が飛び出さないように木製のドアを付けました。
ドアはセランガンバツの既成材を割いてつくってます(軽くするためです)。
階段を付けたのは当初メッシュフェンスを取り付ける予定だった基礎を隠すためですが、雰囲気も良くなるので一石二鳥。
ここは海も山も夕日も見えます。
凪の日の、鏡のような海がとても印象的でした。
私の内面もそうなればよいのですが、なかなかです。
ちょっとした石を据え、Nさんが育てていた可愛らしいプルメリアを植えました。
バスルームからです。
海も見えるのですが、その角度から撮り忘れました。
リビングからです。
2階から。
上から見るとこんな感じです。
外観です。
施工前の状況です。
中庭は植物大好きな奥さまの温室となっております。
外観はプルメリア。
Nさんが育てていたアテナータも植えました。
土が出ている部分は、Nさんが好きな植物を少しずつ植えるお楽しみゾーンです。
「時間は気にせず、菊地さんのペースでやってください」とおっしゃってくださりとてもありがたかったです。
おかげで楽しみながら仕事をさせていただくことができました。
思い出に残る仕事ができ、とても幸せです。
撮影後、ワンちゃん達がお見送りしてくれました。
2022年09月11日
9月11日の記事
身体を壊したことを機に、庭の仕事をやめてしまいました。
残りの人生の時間を考えたとき、苦しみを生じさせるような仕事はやめ、好きなことだけやっていこうと思ったからです。
そうすると、不思議なことに大好きな石積みの仕事の依頼が立て続けに舞い込み、ありがたいことに今は石積みばかりさせていただいております。
これまで、仕事の依頼をお断りするということはまずありませんでした。
仕事のない辛さを知っていますし、何よりお客さんが喜んでくれたものですから。
今まで何度も身体を壊しましたが、そのつど自分に鞭打って何食わぬ顔でやっておりましたが、
さすがに今回ばかりはこんなことを続けていたら死ぬなと思ったわけです。
これはもう、仕事の仕方を見なおさざる得ないということに気づいたときでもあります。
身体はひとつしかありませんし、年をとって体力も衰えますし、何でもかんでもお引き受けできるキャパシティーを備えていないという当たり前のことへの気づきでもあります。
身体を壊したことで、従来の仕事の仕方を見なおさざる得なくなったわけですが、
自分の身体を使って庭づくりをできるのもあと10年くらいか・・・、なんてことを思ったとき、年3件ほどの庭を手がけることができたとしても、全部で30件くらいの庭しかつくれないわけです。
そうすると、益々、来るもの拒まずで何でもお引き受けすることが難しいようになりました。
お客さんとしても、「庭の依頼をしているのに何故に断られるの?」というわけのわからないこととなりますので、今回のブログではそのことについてお話をさせていただきたいと思ったしだいです。
庭づくりをお引き受けするにあたり、
お客さんと私に、苦しみが生じないこと。
お客さんと私に、喜びが生じ、広がること。
今は、このことが仕事をお引き受けできるか否かの分れ目となっています。
苦しみが生じるような依頼はお引き受けできかねます。
喜びが生じ、広がるような依頼は喜んでお受けいたします。
例えば、権力誇示のために庭をつくるということはよくあることで、庭づくりを業者に依頼するのは経済的ゆとりをお持ちの方ということになりますので、その方向に流れてしまうことは多々あることです。
権力の誇示なんて言うと、大仰に聞こえますが、ステイタスのための庭などというちょっとしたこともその範囲だと思います。
苦しみを生じさせるような庭のリクエストの特徴としてよくあるのが、無茶なリクエストがくっついているということ。工期であったり、物理的なことであったり、もしくはその両方であったりしますが、よく話を聞けばそれを見分けるのは無理なことではありません。
一例ではありますが、そうした庭は、お客さんにとっても私にとっても苦しみを生みだすこと以外の何ものでもないのです。
そのような場合、病院へ行って、病気になる注射を打ってくれ、命をダメにする薬を処方してくれと言っても断られるように、苦しみを生じさせるような庭づくりはお引き受けいたしかねますということになります。
美味しい料理は、みんなで分け合って食べれば、その美味しさは何倍にもなります。
ひとり占めしたり、自慢するだけならつまらないでしょう。
庭が好き、庭が楽しい、庭があることで明るく元気に毎日をおくれる。
家族や友人と庭の楽しみを分かち合いたい。
庭を通して、心あたたまるつながりをもてるのは幸せなことです。
そのような心の喜びが広がるような庭づくりは是非!喜んでお受けいたします。
前述したように、あと30件くらいの庭しかつくれないとしたのなら、その数少ない庭を喜びを生むものに、あるいは苦しみを喜びに変えるようなものにしたいのです。
石を積んで、そこに泥を塗り、屋根をかければそれで人の巣のできあがりです。
石積みや、石のテラスがある庭もそんな人の巣の延長上のものです。
そして、そこに植物を植えればもう最高です。
そこに身を置けば、人は自然の一部であること、ひとつながりのいのちであることがより明確に感じられます。明るく元気になります。
そんな庭をつくる私は、今日も平和で穏やに石を積めて嬉しいなぁとか、ありがたいなぁとか、かわいく仕上がってきたなぁなど思いながらやっているわけです。
お客さんも喜び、私も嬉しい。庭で喜びが生じ、庭を通して喜びが広がっていくんですから、もう最高じゃありませんか。
そのような仕事をさせていただけることが私の望みです。
どんな心で庭をつくるのか、それが苦しみの種となるのか喜びの種となるのかはあなたや私しだいです。
6月に完成した土留めのための石積みです。
現在手がけている現場の石積みです。
残りの人生の時間を考えたとき、苦しみを生じさせるような仕事はやめ、好きなことだけやっていこうと思ったからです。
そうすると、不思議なことに大好きな石積みの仕事の依頼が立て続けに舞い込み、ありがたいことに今は石積みばかりさせていただいております。
これまで、仕事の依頼をお断りするということはまずありませんでした。
仕事のない辛さを知っていますし、何よりお客さんが喜んでくれたものですから。
今まで何度も身体を壊しましたが、そのつど自分に鞭打って何食わぬ顔でやっておりましたが、
さすがに今回ばかりはこんなことを続けていたら死ぬなと思ったわけです。
これはもう、仕事の仕方を見なおさざる得ないということに気づいたときでもあります。
身体はひとつしかありませんし、年をとって体力も衰えますし、何でもかんでもお引き受けできるキャパシティーを備えていないという当たり前のことへの気づきでもあります。
身体を壊したことで、従来の仕事の仕方を見なおさざる得なくなったわけですが、
自分の身体を使って庭づくりをできるのもあと10年くらいか・・・、なんてことを思ったとき、年3件ほどの庭を手がけることができたとしても、全部で30件くらいの庭しかつくれないわけです。
そうすると、益々、来るもの拒まずで何でもお引き受けすることが難しいようになりました。
お客さんとしても、「庭の依頼をしているのに何故に断られるの?」というわけのわからないこととなりますので、今回のブログではそのことについてお話をさせていただきたいと思ったしだいです。
庭づくりをお引き受けするにあたり、
お客さんと私に、苦しみが生じないこと。
お客さんと私に、喜びが生じ、広がること。
今は、このことが仕事をお引き受けできるか否かの分れ目となっています。
苦しみが生じるような依頼はお引き受けできかねます。
喜びが生じ、広がるような依頼は喜んでお受けいたします。
例えば、権力誇示のために庭をつくるということはよくあることで、庭づくりを業者に依頼するのは経済的ゆとりをお持ちの方ということになりますので、その方向に流れてしまうことは多々あることです。
権力の誇示なんて言うと、大仰に聞こえますが、ステイタスのための庭などというちょっとしたこともその範囲だと思います。
苦しみを生じさせるような庭のリクエストの特徴としてよくあるのが、無茶なリクエストがくっついているということ。工期であったり、物理的なことであったり、もしくはその両方であったりしますが、よく話を聞けばそれを見分けるのは無理なことではありません。
一例ではありますが、そうした庭は、お客さんにとっても私にとっても苦しみを生みだすこと以外の何ものでもないのです。
そのような場合、病院へ行って、病気になる注射を打ってくれ、命をダメにする薬を処方してくれと言っても断られるように、苦しみを生じさせるような庭づくりはお引き受けいたしかねますということになります。
美味しい料理は、みんなで分け合って食べれば、その美味しさは何倍にもなります。
ひとり占めしたり、自慢するだけならつまらないでしょう。
庭が好き、庭が楽しい、庭があることで明るく元気に毎日をおくれる。
家族や友人と庭の楽しみを分かち合いたい。
庭を通して、心あたたまるつながりをもてるのは幸せなことです。
そのような心の喜びが広がるような庭づくりは是非!喜んでお受けいたします。
前述したように、あと30件くらいの庭しかつくれないとしたのなら、その数少ない庭を喜びを生むものに、あるいは苦しみを喜びに変えるようなものにしたいのです。
石を積んで、そこに泥を塗り、屋根をかければそれで人の巣のできあがりです。
石積みや、石のテラスがある庭もそんな人の巣の延長上のものです。
そして、そこに植物を植えればもう最高です。
そこに身を置けば、人は自然の一部であること、ひとつながりのいのちであることがより明確に感じられます。明るく元気になります。
そんな庭をつくる私は、今日も平和で穏やに石を積めて嬉しいなぁとか、ありがたいなぁとか、かわいく仕上がってきたなぁなど思いながらやっているわけです。
お客さんも喜び、私も嬉しい。庭で喜びが生じ、庭を通して喜びが広がっていくんですから、もう最高じゃありませんか。
そのような仕事をさせていただけることが私の望みです。
どんな心で庭をつくるのか、それが苦しみの種となるのか喜びの種となるのかはあなたや私しだいです。
6月に完成した土留めのための石積みです。
現在手がけている現場の石積みです。
2022年09月05日
9月5日の記事
インスタでの近況報告ばかりで、
すっかり放置のブログを久々の更新です。
写真は作っている途中の自宅の庭です。
まだあちこち穴ぼこだらけですが、
お見せできそうなところを載せました。
石に囲まれた空間に身をおいていると、地球と一緒に暮らしてるなぁって喜びが湧いてくる。
地球と一緒に生きているんだということがリアルに感じられる空間を作るのが楽しくてしかたない。
石、土、木があればそれは簡単にできる。
そして、石、土、木があると鳥やカエルなどのいきもの達が戻ってきてくれる。
すべてひとつながりのいのちであることが顕れることが本当に嬉しい。
植えたのは、タブノキ、ヤブニッケイ、イスノキ、クロツグ、オキナワシャリンバイなど裏山にも自生しているような木が多いです。
私にはそれが一番のお気に入りだから。
おまけ。
ここでたまに食事したり読書したりボーっとしたりするのがたまらなく心地よく、元気も回復です。
いつもと同じパンやコーヒーの美味しさもアップします。
すっかり放置のブログを久々の更新です。
写真は作っている途中の自宅の庭です。
まだあちこち穴ぼこだらけですが、
お見せできそうなところを載せました。
石に囲まれた空間に身をおいていると、地球と一緒に暮らしてるなぁって喜びが湧いてくる。
地球と一緒に生きているんだということがリアルに感じられる空間を作るのが楽しくてしかたない。
石、土、木があればそれは簡単にできる。
そして、石、土、木があると鳥やカエルなどのいきもの達が戻ってきてくれる。
すべてひとつながりのいのちであることが顕れることが本当に嬉しい。
植えたのは、タブノキ、ヤブニッケイ、イスノキ、クロツグ、オキナワシャリンバイなど裏山にも自生しているような木が多いです。
私にはそれが一番のお気に入りだから。
おまけ。
ここでたまに食事したり読書したりボーっとしたりするのがたまらなく心地よく、元気も回復です。
いつもと同じパンやコーヒーの美味しさもアップします。
2022年04月02日
2021年12月15日
T邸の庭 改修工事
2009年に作らせていただいたTさんのお庭。
12年経ち、荒れてきた庭をスッキリさせたいということで改修工事をすることに。
維持管理がしやすいように花壇を作りました。
上の写真は改修工事(花壇制作)後のものです。
写真中央付近の天端を平らにした大きな本部石灰岩も12年前に据えた石です。重量は200kg以上あります。
重機が入らない現場なので、細い路地や敷地の狭い通路を200mほどえっちらおっちらと運搬した懐かしい記憶がよみがえります。
改修工事前の様子です。
作庭当初、シマトネリコを植えていましたが、5~6年ほど前でしょうか、シマトネリコを管理しきれないということで撤去した経緯があります。その後、このスペースは植物が生い茂る上の写真のような状態となり、どうにかできないものかというご相談をいただきました。
良い機会なのでシマトネリコについて少しお話をします。
シマトネリコは人気のある樹木ですが、庭に植えるにあたってはその特徴を知ったうえで検討をした方がよいでしょう。
まずひとつ目は成長が早いこと。庭で維持していくには伸ばしっぱなしにするわけにいかないので、自分が管理できる樹高を決めて、年に2回の剪定をおすすめします。放置すると大変なことになります。
ふたつ目はシマトネリコの葉はオオスカシバという蛾の幼虫が好んで食べるということ。
イモムシが苦手という人には辛いこととなるでしょう。
三つ目はセミが樹液を吸いにくるということ。目を付けられるとすごい数のセミが樹液を吸いに集まります。見た感じ多分クマゼミだったと思います。夏は朝からセミの大合唱となります。セミが苦手な人、静かな朝を迎えたい人には不向きとなります。
だいたい、この三つの条件をクリアできれば植えてみても良いのではないでしょうか。
T邸では「成長が早すぎて維持管理が大変。」ということでの撤去です。
植える前に成長が早いと聞いてはいても、どの程度のものかは実際にやってみないとわからないものです。
はじめて庭を持つ場合、庭というのはどれだけ手がかかるのかがわからないという方がほとんどです。
何事もやってみなくてはわからないものです。やりながら自分の力量というか、暮らしの時間配分の中で、どれくらいの時間を庭にあてることができるかがわかってきます。それに合わせて庭をなおしていけばいいわけです。
今回の改修工事ではTさんが庭の世話をしやすいように、花壇をつくり、草花を多めに植えることにしました。
植える植物の種類によってはもっと手がかからないようにすることもできますが、それでは庭に愛情を注ぐ量がすごく少なくなってしまうので、今回はまずはこれくらいでやってみましょうという感じです。
改修工事にあたり、ほとんどの植物は撤去ということになりました。
上の写真は撤去途中のものです。
でも捨ててしまったわけではないのでご安心を。
私のところで育成し里親が見つかるまで待機となります。
制作中の様子です。
工事期間、毎日おやつのお心遣いをありがたく頂戴いたしました。
Tさんのお母さまは大変お料理の上手なお方で、素麺チャンプルーやおしるこ、うむくじてんぷらなどをご馳走になりました。
おやつを頂きながら、2009年の工事の際にくーぶいりちーをご馳走になったことを思い出しまして、あんな美味しいくーぶいりちーはあれ以来食べたことがないなぁなどと思った次第です。
花壇は、以前作った石のテラスと合う素材でということで、本部石灰岩という沖縄本島北部にある石でつくりました。
高さ約45cm、天端の奥行30cmほどの花壇は腰掛にもなります。
庭のお手入れの途中、花壇に腰掛けひと休みしてもらえれば嬉しいなぁと思っています。
別の角度からの写真です。
ソテツやガジュマルなどの盆栽は、Tさんのお父様が大切に育てていらしたものです。
その節はTさんのお父様にもとても良くしていただきました。
人生はあっという間で、気づいたら私なんかもうこんな年になってしまってという感じです。
人生という限られた時間の中であとどれだけの庭をつくらせていただけるかはわかりませんが、ひとつでも多く、できるだけいい庭を残せたらなぁと思うのです。
写真右側には12年前に植えたシマトネリコがいます。
Tさんは「このシマトネリコがいなくなると庭が寂しくなるので残したい」とおっしゃていました。
私は、庭に木があると、落ち着いたとても良い気持がするのですが皆さんはいかがでしょうか?
2021年10月14日
オオタニワタリ
敷地内に自然と生えてくるオオタニワタリをヒカゲヘゴにつけました。
水苔で巻いて、銅線で縛っただけのことですが、空間がパッと明るくなりました。
オオタニワタリはすごいですね。
今回は、ヘゴが植えられておりましたので幹につけましたが、板につけて壁掛けで飾る方法もあります。
珍奇植物ブームなどもあり、コウモリラン(ビカクシダ)などがなかなかのお値段で売られておりそれはそれで良いのですが、沖縄にも魅力ある植物がたくさん自生しています。
オオタニワタリは胞子が飛んできて敷地内に勝手に生えてくれることも多いのでこれを飾らない手はないですね。
かかるのは手間だけで、自分でやればかかるお金は水苔と銅線やテグス代くらいなものでしょうか。
材料は100均で探してみるのもいいかもしれませんね。
オオタニワタリをつける前です。
幹だけだと寂しいですね。
このオオタニワタリも敷地内を見渡し、これだ!というものを剥ぎ取り植付ました。
ウッドデッキ脇のこれもそうですね。
後ろにちらっと見える石垣もいい味出してるでしょう!
Posted by 艸木 at
12:51
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2021年09月05日
N邸:版築花壇のある家
「水はけが悪く、根腐れしてしまうのが心配で・・・どうしたら良いのか?」というご相談を受けました。
高さを出して木を植えるしか解決方法がなかったのですが、
その高さをどのような方法で出すのかが問題となるのが庭づくりです。
打合せ当初、石積みで高さを出したいというお話でしたが、庭の話をいろいろとしていくうちになぜか版築の話になり版築で花壇をつくることとなりました。
細かいお話は、いつか琉球新報さんの「かふう」にてご紹介できればと思います。
版築の原点をたどれば花壇の立ち上がりに使うようなものではないのですが、今はセメントという便利なものがありますので作れるのです。
植物をとてもかわいがってくださるNさんですから、版築花壇で木々が元気に育ってくれるような環境となり喜びもひとしおです。
2021年08月21日
板塀
ご縁がありまして、昨年4月から月一で「週刊かふう」に庭のコラムを書かさせていただいております。
気づけばブログはすっかり放置ですが、相変わらず庭びたりの日々です。
久々の更新は只今制作中の板塀のもようです。
上の写真はホゾの加工です。
板塀は雑草生い茂る隣地の目隠しにもなります。
どの現場も限られた時間と予算で作らなければならないわけで、いつも作りながらその条件の中で少しでも何かできることはないだろうかと考えるのですが、今回はその中のひとつとして釘の頭を潰してみることにしました。
Posted by 艸木 at
07:14
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2020年10月04日
南城市親慶原 K邸の庭
南城市親慶原K邸の庭です。
自宅にプールって。すごっ!
敷地内ではいろいろな工事が進められている中、T石材建設さんのご紹介で途中参加させていただきました。
私は、主に石組を担当。
そんでもって石張りテラスと建物裏にある水場のデザインもついでにやらせていただきました。施工はもちろんT石材建設さんです。
黒の建物・広い敷地にプールと石のテラスが映えます。
建物裏の水場です。
水の音があるっていいもんです。
まだ工事途中の場所もありますので、とりあえずひと区切りついたところのご紹介でした。
2020年09月29日
9月29日の記事
引き続き南城市での庭園復旧工事です。
星見台が完成しました。
耐久性の高いセランガンバツで制作しております。
星見台からの眺めです。
見返りは間近に原生林!
濡縁も完成です。
庭で作業していると、いろんな生き物たちが登場してくれるので作業中の手が止まり見入ることもしばしば。
僕の手をひろげたよりも大きかったカニ。名前がわらからないのが残念。
オカヤドカリはいつも庭でウロチョロしているので踏まないように気を付けるのが大変。(笑)
他にもリュウキュウカジカガエルやトンボ、ウグイスなどなど賑やかで楽しい庭です。
Posted by 艸木 at
06:38
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2020年09月10日
近況その3。
お盆前(旧盆)にクロキの剪定作業。
1本だけだったので速攻で完了。
剪定後、台風が接近しているので、屋上の排水口に落ち葉が詰まっていないか見てほしいとのこと。
以前はお施主様ご自身で屋上へ登れたが、今は登れなくなってしまったらしい。
屋上へ続くハシゴを見て納得。
これは、登るの大変だと率直な感想。
そんでもって、ハシゴを登りいざ屋上へ。
目を疑いました。
一瞬、インフィニティープールと思いました。
その出来事は、台風9号直撃2日前。
これはどうにかしなきゃ。
ってか、雨漏りしてないのが奇跡的。
お盆&台風直前なので、専門の業者さんも急に対応してくれるわけもなく。
これは、植木屋がひと肌脱ぐしかないということで作業開始です。
見事にプールとなっています。
よく見ると、アメンボにヤゴ、ミズスマシみたいなやつも泳いでいる。
水があるところには生き物たちがすくすくと・・・。
なんて言っている場合ではなく、早急に水抜き。
溜まったヘドロがすごい量でした。
住宅密集地なので、高圧洗浄機でヘドロを飛ばすわけにもいかず、ひたすらデッキブラシやらあの手この手でヘドロを剥ぎ取り、台風9号襲来前日には作業完了。
日が落ちる前に、何とか洗い終えることができました。
ハードな現場が続いたので腹筋が割れるのでは?と思いましたが、台風と続く雨天でズタボロになった身体を休めることができましたのですっかり元の体形に戻りました。
十分に休養が取れましたので、今日からまた元気に仕事です。
Posted by 艸木 at
07:00
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2020年09月10日
近況その2
ビフォー
アフター
石積みをスッキリとさせたり。
ビフォー
アフター
通路をスッキリさせたり。
ビフォー
アフター
お庭をスッキリと。
ビフォー
アフター
ビフォー
アフター
スッキリ三昧でした。
こちらの現場は、これから復旧工事などいろいろありますので、しばらく通わせていただくこととなりそうです。
ひとり仕事なものですから時間がかかってしまい、お施主さまには申し訳ない気持ちもありますが、ご容赦いただければ幸いです。
また、仕上がったところからブログにアップできればと思っております。
Posted by 艸木 at
06:00
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