てぃーだブログ › 沖縄の石、土、木、庭のブログ。

2024年02月08日

2月8日の記事



崩積みと丸太による土留めが完了し、
これから低木と草ものの植栽や菜園の畝立てへと進んでいきます!




石の隙間に植物を植えると表情がガラッと変わるので楽しみです!




土を入れる前に、刈草をたっぷりと敷き込みます。(今回は刈草がたくさんありましたのでそれを使いましたが、落葉や小枝を敷き込むとなお良いです。)
そうすると、ひと月も経たないうちにミミズやアリ、その他たくさんのいきもの達が土の中に棲みつくようになります。
庭づくりは、いきもの達の棲家づくりでもあり、それができると健やかな循環が生じるようになり、人も自然もいきもの達も協力し合い共に生きていく環境となるのではないかと思うのです。
造園はやりがいある楽しい仕事です!  


Posted by 艸木 at 08:22Comments(0)

2024年01月22日

1月22日の記事



写真の春菊、葉を収穫すればするほど次々に新たな葉を出してくれて、
鍋、サラダ・・・食べても食べてもキリがないほど。うれしい。

これは太めの枝を使ってのプチ花壇。
落葉をすき込むだけで、乾燥してパサパサだった土も命ある土へと変わります。
落葉ってすごいんです!
そして、落葉と一緒にいる微生物のおかげ!

苗を植えた時は水やりをしますが、その後は様子を見ながら1~2回だけです。
植えてから4日目以降は雨まかせ。
10日以上雨が降らなくたって全然大丈夫。
おそらく植えてから3~4日間で苗と微生物の協力関係ができあがっているのではないかと推測します。

これまでの経験から、落葉をすき込まない生命力のない無機質な土だとこうはいかない。
水やりの卒業までかなりの期間がかかっているように思います。
葉っぱが水切れの合図をすぐに出してきます。









こちらのミニトマトも土に落葉をすき込んだだけ。
他に肥料とかは何も与えていません。
赤くなると、鳥がすぐに食べに来ますので、頃合いを見計らい朝一の収穫を心がけています。
ここのトマトは人が3、鳥とかが1くらいの割合でそれぞれのお腹に入っております。

落葉を土に混ぜるだけで植物が元気に育ってくれるお手軽で簡単な方法です。
わずかなスペースでも、土の中では多くの生きものたちが活動してくれていて、土に命が宿ります。
そこは、生命力ある土となります。
雨水がその土を通して地下に浸透し、川や海へとつながっていくことをイメージしてみて!
たくさんの生きものたちに影響を与えていることを!



  


Posted by 艸木 at 07:45Comments(0)

2024年01月13日

1月13日の記事



崩積みで土留めをしています。
石積みは土地の呼吸を塞ぐことなく土留めができる昔からの方法です。





着工前の写真。
小山に見えるのは着工前に敷地を草刈りしたときの刈草です。




一般の方々はコンクリートで作られたL型の土留めの断面を見る機会があまりないかと思いましたので写真をのせますね。
このような土留めで土地を囲ってしまうと土中の空気と水の流れが滞ってしまい、木を植えても何だか元気がないとか弱くて病気がちってことにもつながってきます。
もし、これを読み、「うちの庭はコンクリートで囲われてる!だから木に元気ないんだ!」とお思いの方、ガッカリせずとも大丈夫。
ちゃんと救済する方法があります。そのあたりも手がけていく現場に応じ、いずれお話ししていきます。

幸い、こちらの現場では水の出口となる敷地境界がフルオープンでしたので、土地が呼吸をできる崩積みで土留めができることとなりました。




崩積みでは作業工程として石の裏側に土を入れていくのですが、石の安定に支障のないところへは枝葉や落ち葉などの有機物を挟んでいくことでそこが微生物などの小さな生きもの達の棲み処となり、植えた木々もそこへと根を張り巡らせ、石積みをより安定させてくれます。
みんなで協力し合い、住む世界を成長させ安定させ調和させていこうという方向を目指すわけです。
ただ土を入れて転圧しただけでは空気と水の流れが不足したり滞り気味になる。
そういうことがわかっていると刈草を入れながら嬉しくなってくるわけです。草刈しながら愉快だなぁと思えて来るのです。
自然から出たものはありがたく、喜びに変換できるようになっている。ありがたい!


  


Posted by 艸木 at 07:57Comments(0)

2023年12月31日

12月31日の記事



少しずつ植物も増え、木々も成長してきた今日の庭です。





一昨年頃の庭。
70~80cm掘ると地下水が流れているという土地です。
大雨が降ると地下水の水位も上がります。
以前は水位が下がるまで長らく時間がかかりまりたが、今はずいぶん早く下がるようになりました。
呼吸が回復してきてるなぁと嬉しくなります。


木のおかげで水と空気が循環し、たくさんの命が恩恵に与っています。
それらの木々は土とそこに棲む多くの微生物などと協力し合い命をつないでいます。
なので共生している微生物が何らかのことでいなくなったりすると巨木が枯れてしまうということも起こり得ます。
人類は木によって生かされています。
木だけではなく多種多様な生態系とそれら命を育む自然によって生かされています。
地球を命あるものとして見ることができなければ私たち人類が健やかに生きていくことは難しいでしょう。
緑豊かな都市や町をつくるということは、ダメージを与えてしまった自然を回復させ、壊してしまった生態系を復活させること。
それは私たち人類が子々孫々、心身ともに健やかに生き生かされることができるように環境を整えるということ。
地球が健康であれるような社会をつくっていくのは人間の責務。
人間が健康で幸せな人生を送りたいのであれば、地球が健康でなければそれは実現できない。
地球に守られ、自然によって生かされているのが人類。
微生物により木々が生かされ、木々により微生物が生かされているように、
人間により多種多様な生態系が維持され地球が健康であり、それら自然により人間が生かされているという健全な関係を結ぶことができる社会をつくっていきましょう。それは何も高度難解なことではなく、庭先からすぐにできること。
庭先から大地の呼吸を回復し、生命力ある水と空気が循環できるようにすること。
その小さな一歩は、人が自然により生かされ、地球が健康であれる社会をつくる力強い一歩。
新年を迎える今日、その力強い一歩を踏み出し歩み続ける決意をもって皆様方への感謝と喜びの言葉にかえさせていただきます。
皆様方におかれましては、元気で明るく喜びに満ちたよいお年をお迎えくださいますよう心よりお祈り申し上げます。  


Posted by 艸木 at 11:13Comments(0)

2023年12月16日

12月16日の記事



オリーブの移植をしてきまました。
昔、花壇に植栽してから15年、建物解体にともないオリーブを移植したいというご連絡をいただきました。
早速お伺いすると、移植先にはオリーブを植えれそうな場所がなかったので木製プランターを作り植えることになりました。







名護の現場ということで、プランターは事前につくってから搬入することに。












オリーブは全部で3本。
この小さな花壇でも場所によりそれぞれの根の状況が異なっており、なるほどなぁなどと思いながらの仕事でした。







移植がきっかけで、お客さまとも久々にお会いすることができ嬉しかったです。
名護の市街地での仕事でしたが、作業中、通りかかる人々との何気ない会話などがあったりするのですが、みなさん心があたたかい。
お客さまももちろんのこと、穏やかで優しいんです。心に沁みました。

  


Posted by 艸木 at 19:10Comments(0)

2023年12月03日

12月3日の記事



花壇の植栽です。
植栽前は花壇立ち上がりの下部に3か所排水用の穴があり赤土が入っていました。
このまま植えるのは好きじゃないので内部の確認をかねて赤土を取り出すことに。
掘ってみると出てくるのは土埃ばかりで生きものの気配は無し。
花壇の底はコンクリートが打たれており、その上に10cmほど砂利が敷かれ、あとは赤土という状況。
底のコンクリートを斫るかコア抜きして路盤材を水が浸透するところまで掘ることができればいいのですが、そこまではできない事情がありますので、さてどうするかと思案。








コンクリートで囲われた巨大なプランターと化した花壇の土の中で多くの微生物が少しでも棲みやすい環境を作りたいわけです。
やはり、ここでも、炭、もみ殻燻炭、枝葉、落葉を投入。
それから、通気口として節を抜いた竹を何か所も差し込みました。
ちょうど不要となったヨシズがありましたので、深さ30~40cmほどの小さな穴をたくさんあけてバラしたヨシズと燻炭、落葉を差し込んでみました。
経過の写真を撮っていなかったので言葉だけでわかりにくいかと思いますがご勘弁を。

こういう種類の植物は水のやりすぎに気をつけましょう。
こちらの花壇は雨があまりあたらなさそうでしたので、冬場なら1ヵ月に1回、夏場なら1ヵ月に2回くらいを目安に、植物のコンディションを見ながらということになります。
普通は、雨まかせで大丈夫。





あとは今後の経過をみて判断です。
うまくいけば植物たちは元気に育っていくことでしょう。
やり方がまずければ弱っていきます。
弱るようであれば、またその時に必要と思われることをしていけばいい。




全然関係ないけどブログを更新しながら昼ごはんの準備をしていたら目玉焼きに醤油と間違ってポン酢をかけてしまった。
やっちまったと思いつつ渋々食べたら意外と美味しくてびっくりだ。

そうそう、仕上げにはドライガーデン風にしてほしいというリクエストで支給された石を置いたのですが、石をベタっと土の上に置くのではなく、なるべく隙間をつくることで空気が流れるようにし、いきものたちが遊べるようにしています。
密閉されると息苦しいのは人も植物も小さないきものたちもみんな同じですね。



  


Posted by 艸木 at 14:46Comments(0)

2023年11月22日

11月22日の記事



本日は「ユッカ ロストラータ」入荷!
ロストラータは相変わらずの人気です!  


Posted by 艸木 at 15:56Comments(0)

2023年11月21日

11月21日の記事



アテナータ、ドラセナドラコなどいろいろと入荷してます。
鉢植えのままでも地植えしてもヨシです!
沖縄は涼しくなりガーデニングにもってこいの季節に突入です!
植えてすぐに台風がくるとダメージが大きいですが、今時期から植栽すると、来年の台風シーズンまでにはたくさんいい根が出てくれます!
「たくさんいい根を出して、来年の暑い夏と台風に備えるんだよ」と声かけしながらの植込みです。





柱サボテンとドラセナドラコ。




アテナータ。




こちらもドラセナドラコ。

  


Posted by 艸木 at 11:59Comments(0)

2023年11月19日

11月19日の記事



建設工事をする際、土を固めて基礎工事をします。
そうすると、雨水は深いところへ地下浸透ができなくなり、表面を流れたり浅いところで滞るようになります。
水が大地に浸透しないということは地中の通気もほとんどなくなってしまっているということで、
この状態は「大地が呼吸ができなくなっている」という表現になります。
人間は脳で思考し、肺が呼吸を助け・・・、ということになっています。
樹木を解剖しても脳も肺もでてきませんが、彼らは意志を持ち、思考し、呼吸をしていることが科学的に明らかにされています。
思考や呼吸などの目に見える形態が人間とは異なるだけなのです。
そのことを地球、自然界にあてはめてみるといいかもしれません。
彼らの、意志、呼吸とはどういう形態なのだろうかと。




建設工事などによって水の地下浸透や通気口をふさがれ、呼吸ができなくなってしまった大地でも再び息ができるようにすることが、呼吸を回復させることができます。
呼吸を回復させることは、自然を安定させることにもつながり、土砂崩れや河川の氾濫などを軽減あるいは防いだりということへもつながります。
大地が呼吸を取り戻すと微生物や虫などの小さな生きものたちも増えて活発となります。
また、人間の腸内にいる菌は土壌にいる菌は共通しているものが多いようです。
単純な表現となりますが、善玉菌が多ければ健康で元気の要素へと傾き、悪玉菌が増えれば不健康で元気がなくなっていきやすいというようなもので、大地も同様で呼吸ができるようになると善玉菌が増え、呼吸がふさがれると悪玉菌が増えということになり、人間の健康にも影響が出てくるということも研究で明らかになっているようです。
地球の健康と人間の健康はつながっていて、別物ではないということです。
大地が呼吸を取り戻すことは、傷ついた自然が、地球が回復し健康を取り戻していく一歩となります。
傷ついた自然、、傷ついた大地はどこにあるのか。
それは私たちが建設工事などによって暮らしている場所、まさに足元なのです。
だから庭から傷ついた自然を回復させていきましょう!ということになるのです!
庭の土が元気になれば、小さな生きものたちも活発となり、木々も元気になり、人間も元気になる。
それが広がれば、自然は豊かなものとなり、地球も元気になっていく。
そんな夢のような世界にしたいと思っているのです。





我が家の庭も小さな生きものたちがたくさん棲みついてくれるようになりました。
落葉や剪定した枝葉はそのまま土を覆うように被せておけば、糸状菌なども出てきてくれますし、小さな虫たちもたくさんいるようになります。
庭から、みんなが明るく元気でいきいきと生きていけるような世界に!





  


Posted by 艸木 at 10:23Comments(0)

2023年10月14日

10月14日の記事



地球、自然、人・・・、すべてはひとつながりの命。
菌類など目に見えない微生物が介在している。
スザンヌ・シマ―ド氏は著書「マザーツリー」で
これは「どうすれば私たちが森を救えるか」についての本ではない。
これは「私たちが木々によって救われる可能性」についての本である。
と述べている。

これから年末にかけて庭のお手入れの依頼が多くなります。
住宅地での仕事となりますが、感じるのは庭に元気がないということ。
現代の土木や建築技術がコンクリートやアスファルトで土を覆う工法となりますので、土は呼吸ができずに、土中の水は滞る。表面を流れる水は細かな土を動かし土の通気孔を塞いでしまう。
表面から5~10cmまでの土はパサパサに乾き、その下は湿気が滞っているケースも多い。
先日、作業した庭もそんな感じの庭でした。
シークヮーサーが年々元気がなくなっているということで、土を掘らせてもらいました。
庭には微妙な高低差があります。
10cmほど土が高い場所の根は生きていましたが、低いところでは根は菌類により分解されておりました。





土を掘り進め、深さ80cmほどで水が湧いてきました。
ご近所の地形からして、こちらの庭は低い位置にあるので水が集まりやすくなっているのかもしれません。
問題はこの集まってきた水の出口がないということ。
ゆっくりじわじわとどこかに浸透していっているのだと思うのですが、集まってくる水に対して排出が少なすぎて地中で滞水しているのだと感じました。
建物と外構の基礎で閉じ込められた庭の土は、呼吸する孔がなく、水も溜まりやすくなります。
これでは、木々は元気がなくなるのは当然のことです。
木の根は水や養分を吸うだけではなく、呼吸もしていますから。
ましてや、木を元気にしてくれる菌類などもこのような環境では育ちにくいこととなります。
それではということで、庭が呼吸できるように土中に空気の通り道をつくることにしました。



まずは炭を敷き、ネトロンパイプを差し込みました。




琉球石灰岩と燻炭で土中の通気を確保。



生きている根の付近には落ち葉を入れ、土を被せました。
(落ち葉と土は混ぜてから入れればよかったと思います。)




その後は、剪定したマサキの枝葉をネトロンパイプに突っ込んだり、敷いたり。





落ち葉をのせたり、土を被せたり、燻炭蒔いたり、そんなことの繰り返し。
最後は、マサキの枝葉を地表にまき散らしておしまいとしました。

作業をしながらお客様とお話しをする機会がちょこちょこありました。
よくよく話を聞いていくと、以前はシークヮーサーの根元付近(ちょうど根が分解されていたあたり)で野菜を作っていたとのことでした。
シークヮーサーが大きく育ち、日陰になってしまったから野菜づくりをやめてしまったようです。
その後、カミキリムシが入り、シークヮーサーは年々元気がなくなっていったとのことでした。
野菜作りの際、土の表層10~15cmは耕していたようで、それが土中の空気を動かす良い働きかけだったと思うのです。
それをやめたため、土中の空気と水の動きが滞り、木が弱り、カミキリムシが入ったという流れだと思います。
たった10~15cmのことですが、土の中ではものすごい環境変化となるのですね。
今回は根が分解されているのを見ることができたわけですが、これって、根が分解されてその部分が空洞になると、水と空気の通り道ができるということにつながります。そうすると、土はまた呼吸ができるようになり元気を取り戻せるというわけです。
自然の力ってすごいなぁと思います。
人間がコンクリートやアスファルトで蓋をしても何とかしようと頑張っているんです。
それに人間が手を貸せば、加速度を増して自然は回復していくことと思います。






縁石で区切られた場所は縁石に沿って溝を掘りました。
こちらも同様に水が湧いてきました。



炭や燻炭を撒き、ネトロンパイプに枝葉を差し込み、要所要所に琉球石灰岩グリ石を入れてます。







枝葉や落ち葉を入れて、燻炭蒔いて、土を被せての繰り返し。
完成写真は撮り忘れましたが、今回はここまでの作業で終了。
欲を言えば、15mくらい離れたところに排水桝があったのでそこまで水の道をつなぎたかったです。
それを作れば、土の中の水と空気は大きく動きだし、いろんなところで元気が回復するだろうと思ったからです。
お金はいらないからやらせてくれ!という気持ちになります。
しかし、あちこちでそれをしてしまうと生活できなくなってしまうので涙を飲んでここで一区切りです。
水と空気の循環が滞ると、庭に元気がなくなります。
みんなで土が呼吸をできるようにしていければ嬉しいです。
そして、いい菌が棲みつきやすくなり、木々が元気になれば、人間も元気になります。
ひとつながりの命ですから。

そういえば、お百度参りっていうのが昔からあります。
家族の誰かが病に臥せったりすると、病気が良くなりますように願ってお参りするというもの。(他にもいろんな願掛けがあるようですが)
ここからは私の想像です。
神社には大木も多くありいい菌がたくさん棲んでいるわけです。
お百度参りをするたびに、そのいい菌を持ち帰るわけです。
その菌が病に対して何らかの効果があったのではという想像。
まったく効果がなければ、そんな風習は続いていないわけでなどと思ってしまうのです。


  


Posted by 艸木 at 15:38Comments(0)

2023年09月09日

9月9日の記事



屋根に竹をのせました。
棕櫚縄で竹を括り付けていきます。
棕櫚縄は使う前に水に浸しておきます。
そうしないとギュッと締まらないし、扱いにくいです。





竹の隙間が狭くて棕櫚縄を通せないときは、鋏とかを差し込んで隙間を広くして通します。




昔読んだ本で佐野藤右衛門さんが「棕櫚縄は使う前に水で浸しておく、それが日本の伝統や。」みたいなことを言っていました。
長い間、伝統と権威権力をひとまとめにしてしか見れなかったものですから、その頃は素直にその言葉と接することができませんでした。
生きていくことに必要だったり役だったりすることが伝統として引き継がれています。
あっ!そんなことなの!っていう、ほんと、わかればどうということの程でもないことですが、知らないとどうにもできないこと。




突然ですが、きれいな海!
「これは直に接したい!」ということで砂浜に降りてみました。









人のためのビーチではないので、砂浜に降り立つには写真のような原生林みたいなところを搔い潜って行きます。
クチャの上にはたくさんの落ち葉。
どんどん歩いて行くと、次第にクチャと海砂が混ざり合うようになり、アダンも多くなってきました。
そこにも変わらずたくさんの落ち葉がありました。
そして、砂浜に降り立ち、海に向かうと・・・。





一番初めにお出迎えしてくれたのはウツボでした。
浅瀬を泳いでいたことに驚きましたが、出会えたことに感動!





ヤドカリもたくさんいました。
数百匹どころか数えきれないほどのヤドカリの子供たちが群れをなしていました。
アダンもあるし、食べるには事欠かないということでしょう。
他にも魚やカニ、名前もわからない生き物たちで溢れかえっていました。
この多くの生き物たちを育んでいる一つの要素として、豊かな山林があります。
山での生き物たちの活動による落ち葉や微生物などのおかげで多くの養分を含んだ水が海へと流れていくことがどれほど海の生き物たちにとっての滋養となっていることか。
ちょっとイメージしてみてください。
ここの海に接している山が、更地にされてすべてコンクリートやアスファルトで埋め尽くされ、落ち葉もないような景観を。
そのことにより、海はどうなってしまうのかを。

山も海も川も、地球に棲む多くの生き物たちも、人間もひとつながりの命です。
人間が山や海の健康を損なうようなことを行えば、いずれそれは人間自らに返ってくることは、明らかなこと。

多くの人間が自然と共に、自然と共に生き、暮らしていた頃もありました。
今は個人の目先の利益が優位となり、全体との調和を気にかけることが少なくなったと感じるのは私だけでしょうか。
もちろん、全体の調和を優先し、個人を犠牲にすることはあってはなりません。
個人個人が生涯にわたり自分で自分の内面を成長させることは最重要と言ってもよいのではないかと私は思っていますので、全体のために自分の内面の成長を放棄するようなことはNOなのです。
全体のことと個々のことのバランスは大切です。
健康であったり、明るく元気であったり、暮らしやすく信頼できる社会であったりすることは、個々人が自らの内面と向き合い成長させるためによい環境を整える、基盤をつくるということになるのではないかと私は考えています。
成長のためにはしばしばネガティブな出来事が必要となりますが、その壁に対峙するとき、そのような基盤があるのとないのとでは向き合い方が違ってくるのではないでしょうか。
そうした基盤づくりの一環としての庭づくりであったりもするのです。
自然環境をよくするために技術的にあれをしようこれをしようというのは、やろうと思えばできるものです。
それをするときに、自己の内面の成長を置き去りにしてはいけないのです。
その両方を意識して行えることが心のこもった仕事と言えるんじゃないかなぁ思うのです。









豊かな自然は一朝一夕になったものではありません。
永い年月をかけて自然が作り出したものです。
たくさんの時間といろんなことがあって作られたのが今私たちが目にしている愛ある自然の姿。









  


Posted by 艸木 at 12:29Comments(0)

2023年09月05日

門づくり



門を作っています。





なるべく手近にある少ない材料で、不要の手間はかけないで。
そう考えて作るとこんな骨組みに。
昔からあるようなカタチになってしまった。

少ない材料であれば、資源を節約し大切に使うことができるし、余剰は他の人たちと分け合うことができる。
手近な材料であれば環境への負荷も少なくてすむ。
不要な手間をかけず余力ができれば他の誰かのために手間をかけることができる。

自然の恵みを大切に使う、
自らの人生の時間を価値あるものとして大切に使う、
思いがカタチになる。

防腐処理された丸太を使うなどの妥協はあるが、今の時点でできる限りのことはやっていきたい。
少しずつバージョンアップを繰り返していくことしかできないのですから。
  


Posted by 艸木 at 14:06Comments(0)

2023年09月03日

土塀



土塀といえば屋根をかけて雨で土が崩れるのを防ぐ作りをしているものがほとんどなのではないでしょうか。
屋根をかけるとその分予算がかかってしまうので、工夫をして安くで土塀を楽しみたい。
というわけで、赤土に藁や石灰などを混ぜて土を固め、雨に打たれ強くしてみました。





泥団子をのせて作っていきます。





土塀に飾り棚をつけてみました。
その時の気分でいろいろと飾ると楽しそうです。






屋根をかけずに石灰などで固めただけです。
先日の台風6号も経験しましたが無事どうということもなくです。
土塀に興味のある方、実物に触れてみてください。
好き嫌いはあると思いますが、土塀に入るヒビや石灰がしみ出した痕跡もいいもんです。
なんかこう、土や石灰も生きているんじゃないかと思える温もりのように感じるんです。
年をとると、シワや白髪が増えたりしますが、人生の苦楽を身体に刻み込んでいい味になっているのと似てるなぁと思うわけです。


  


Posted by 艸木 at 13:32Comments(0)

2023年08月28日

虹亀商店さんのパーゴラ



虹亀商店さんでパーゴラ作りです。
パーゴラは店主さんの長年の夢だったとお話しくださいました。
パーゴラの脇にはブーゲンビレアを植えました。
やがてブーゲンビレアのアーチができることでしょう。



















パーゴラをくぐり抜けるだけで何だか楽しい気分になってきます。
お越しになるお客様は、パーゴラやこれから育っていくブーゲンビレアのアーチがあるこの小道を通るだけで明るく楽しい気持ちになることでしょう。
虹亀商店さんの庭では、夢の実現のお手伝いをすることができたことに喜びと感謝、幸せ、充実感で気持ちが満たされました。

パーゴラの後ろにはアコウの大木が琉球石灰岩を抱き沖縄の自然を守ってくれています。
道路と宅地に挟まれて残された小さな場所ですが、アコウをメインにヤブニッケイ、トウツルモドキ、シダ類などが頑張ってくれていました。

さぁ、次はあなたの夢の実現のお手伝いをさせてください。


















  


Posted by 艸木 at 12:09Comments(0)

2023年08月23日

アマミアラカシ



ドングリ好きの皆さま、アマミアラカシあります!
アマミアラカシは石灰岩地で育つことができるので沖縄県南部でも植えることができます!
大きくなりますので植える場所はある程度広さがあった方がいいです。
ドングリってだけでテンションが上がります。
興味のある方、ご連絡くださいませ。
植え場所、植え方、アドバイスは無料ですので。

開発が進み、どんどん木が減っています。
減ったものは仕方がない。
かわりにどんどん植えて増やしていくしかないのです。

ドングリの木があると子どもたちも喜びそう!
きっと、おとなも楽しめます。
「わーい、ドングリだ!」ってなるもんね。
  


Posted by 艸木 at 12:53Comments(0)庭の楽しみ

2023年07月10日

7月10日の記事



庭から外を眺めます。
庭があって
藪(ヤブ)があって
山があります。

藪は土地が荒れているということ、愛情不足な状態。
この藪にはオオバギやギンネムなどが生えてきていて、このまま何もされなければ長い年月をかけてゆっくり林へと移行していくのかもしれない。
そうやって命豊かな環境へと育っていくのだと思う。
それを待つのも一興かもしれないが、土地の所有者さんがおりますのでどうこうというものではありませんし、
荒れた隣地を見ながら庭で過ごすのは何とも落ち着かないもので、
板塀を取り付けることに。





庭のあちこちから見て板塀の高さを決めます。
ちょっと高めですがこれより低いと藪感が強くでてしまうのでこの高さで決定。
まずは柱を立てて
野地板を付けるための胴縁を取付けます。



野地板を打ち付けていきます。
藪が隠れました。



山が庭の一部に思えるように、緑色の塗料を塗りました。
庭に植えたイスノキやタブノキ、ヤブニッケイ・・・
藪に生えているオオバギ・・・
山に生えているタブノキやヤブニッケイ、クロヨナなどと
ひとつながりの命

藪は藪の役目を全うしている。
藪が邪魔だと排除してしまうのではなく、
藪があるからこその景色となるように板塀の出番となりました。
庭と山を藪と板塀がつないでくれています。




昔、金子みすゞの詩に「蜂と神さま」というのがあるから読んでごらんと、とあるお方がお教えくださいました。

蜂はお花のなかに
お花はお庭のなかに
お庭は土塀のなかに
土塀は町のなかに
町は日本のなかに
日本は世界のなかに
世界は神さまのなかに
そうして、そうして、神さまは、
小ちゃな蜂の中に。


今回作った板塀ですが10年ももてば十分といったところでしょう。
朽ちてきたらまたその時に見合ったもので作りかえればいい。
それは庭に愛情をかけられるよろこび。
無関心ではいられない、
大丈夫かなぁとか
気にかけて様子を見る
庭ってそういうものだと思います。



  


Posted by 艸木 at 08:49Comments(0)

2023年06月17日

6月17日の記事



アオスジアゲハの幼虫です。






庭のちょっとしたところに蛹となったアオスジアゲハを発見します。
この蛹は先日の大雨で流されてしまい悲しくなりましたが、別の蛹は無事でいてくれたことに慰めらています。







今年はたくさんのアオスジアゲハが庭を飛び回っていました。
お目当ては、食草となる庭に植えたヤブニッケイやタブノキ。
木を拠り所としている生きものたちがいます。
木があれば、生きものたちは戻ってきてくれます。
我が家の背には須久名山(須久名森)があります。(塀の後ろに見えるのが須久名森です)
その森に自生している木にはヤブニッケイやタブノキもいます。
人も木も虫も、たくさんのいきもの達がすこやかに暮らしていけるような環境にしたくて身近なところで自生している木を庭に植えています。
もともとそれらの木たちと生き生きとそこで過ごしてきた生きもの達がいたのだから。
その地に自生していた木を植えることは、少しでも自然の元気を取り戻すことにつながるのではないでしょうか。

最近手がけた3っつの現場、偶然にも、その庭の隣の土地が伐開されていました。
いずれも、その土地の持ち主さんにお声をかけて伐採された木を庭づくりに使わせてもらいまいた。
何とかして、新しい命につなげていきたかったからです。

随分と前の話になります。
車で道を走らせていると、あちこちで開発地を見ることができます。
木々を伐採し、山を削り・・・、完成したらその地とは縁もゆかりもない木々を植えるということが繰り返されています。
これではいかん、何とかしなければと思いまして、
残せる木は残しましょう、開発前に苗木など保護できる木は移植して、開発後にその木を緑地帯に戻してあげましょうということをやりたくてパンフレットを作ったことがありました。
そのパンフレットを持って、役所や開発業者さんなどに行くわけですが、そこでわかったことは「開発地は更地にしなくてはならない」ということが法律で決められているということと、「安全管理などのために苗木の保護や移植をさせることはできない」ということでした。
無知ってこわい。
パンフレットたくさん作ったのに。
それでもって、まだあきらめずにやっているわけですが、何とかならないだろうか何とかしようということでの「今」です。
前述のアオスジアゲハに戻りますが、
タブノキやヤブニッケイを植えることでアオスジアゲハが来てくれるということ、
それは人間が木を植えるとか自然に何かしらちょっとしたことをする、
それに対して、自然が応えてくれているということだと思うのです。
タブノキやヤブニッケイを植えた私に、自然はアオスジアゲハを通して返事をしてくれているのだと思うのです。



  


Posted by 艸木 at 10:44Comments(0)

2023年06月15日

6月15日の記事



虹亀商店さんの庭です。
ゴールデンウィーク明け、入荷した芝生を張りに行った時の写真。



足もとを見るとタンポポ。
虹亀商店さんの広い芝庭にいるといろいろと考えさせられることがあります。

ここ数年、人工芝の依頼を受けることが増えてきています。
マイクロプラスチックをこれ以上増やしたくはないので、お客さまにはその旨をお話ししてお断りしているのが実情です。
理由をお話しすれば、人工芝を張ることを再度検討しなおしてもらえるのではないだろうかという希望をたくしつつではありますが・・・、

庭のプランをたてるとき、当たり前のことですがお客さまのご希望を伺います。
「カッコよくしてください」
「オシャな感じに」
「センス良く」・・・、
さらに「手間のかからない、維持管理の楽な庭。」
ほぼ、100%、こう言われます。
まずは美醜の問題です。
これ、美しいとか醜いとかをどの立ち位置で眺めて決めるのか、その立ち位置を確認させてもらわないことにははじまりません。
もっと言うならば、庭を持つとはどういうことなのか、その責任とか歓びとかそういうこともひっくるめて考えていかなければならないのですが。
庭の維持管理を楽にするために人工芝を張る。
雑草を取るのが大変だからコンクリートやアスファルトで土を覆う。
そうすると、雑草が生えないきれいな庭になったねと言って喜ぶ方もいらっしゃいます。
人工芝を張れば、マイクロプラスチックが増えます。
コンクリートやアスファルトで土を覆えば、自然は弱っていきます。
いきもの達や自然を弱らせ苦しめることを「美」と感じてしまって良いのでしょうか。
当然、そのツケは私たち人間に返ってきています。
大地に水と空気が循環し、木々が生き生きと育ち、多くの小さな生きものたちが戻り、自然が元気を取り戻す姿。
それこそが美しいと言えるのではないでしょうか。
そうなれば、その生き生き元気は当然私たち人間に返ってきます。
その姿が庭にあるということは、庭に手間暇をかけることを避けられません。
でもね、その手間暇をかけられるということは、最高の歓び、至福のひとときであることに気づいてほしいのです。
地球を元気にする積極的な参加者であることはこの上ない歓びのひとつなのではないでしょうか。
これは庭を持つ人が味わえる醍醐味なのです。
それをね、手間のかからない楽な庭にしたいなんて言っていたら人生勿体無いです。
そう書いていると、「楽」の基準もちゃんと吟味しないといけないことのひとつだなと思いましたが、今日はこの辺にしておきます。




話しを虹亀商店さんの庭に戻します。
木の根元の土がむき出しだったので雨で流されないように芝でカバーしてきました。













台風2号通過後も何事もなくホッとしております。
虹亀商店さんの庭はおおらかな感じがして心地いいです。



  


Posted by 艸木 at 16:11Comments(0)

2023年06月14日

6月14日の記事



作庭から11年目を迎えた浦添の庭です。
ちょっとした打ち合わせで久々にお伺いしました。
木々に囲まれた庭に入ると住宅街であることを忘れてしまいます。
積もる話にあっという間に時が過ぎました。

アスファルトやコンクリートで覆われた住宅街にこんな庭をどんどん増やしていきたい。
ここは、私が沖縄に来て間もない頃はまだたくさんの木々が残っていました。
数十年前、森が残るこの場所を気に入ったご夫妻は、この地に家を建てることにしたそうです。
それから時が経ち、ここに森は残っておらず・・・ということになっております。
あぁ~、住宅街の庭を森にしたい、都市を森にしたい。
もともと自生していた木々を植えたい。
いきものたちが戻ってきて、命豊かな場所に人が住めるようにしたい。
人間もひとつながりの大きな命の参加者なのですから。





  


Posted by 艸木 at 17:52Comments(0)

2023年06月03日

6月3日の記事

未来の子供たちにきれいな地球を残したいという思いから、今日は、自然が目の前でどんどん汚されていくのを見て経験した私の昔話です。
私が幼稚園生くらいの頃までは、親戚が農家だったので、田植えの時期になると普段は公務員やサラリーマンをしている親族も田植え休暇をとり、総出で、もちろん手植えで田んぼに稲を植えていた。
小学生になる頃には、トラクターが活躍し始め、田植えや畑を耕すということは機械がするようになり、親族総出の田植えの行事はなくなってしまった。
それまでは、人の糞尿を畑にまくという江戸時代かいつの頃からかはよくわからないけど、昔からの方法で農業が営まれていた。
なので畑の臭さは強烈だった。
寄生虫がいるからと、サラダや生野菜を食べる機会もあまりなかったように思う。
機械化がはじまり、農薬や除草剤、化学肥料を使うようになり、それを追うように暮らしも変わっていった。
飲み水や生活用水はずっと地下水を使っていたが、小学2、3年生の頃だろうか、
水道が普及し始め、除草剤や農薬などの影響で地下水は飲んではいけないということになった。
ペットボトルに入った飲み物が出始めたのもそのちょっと後だ。
プラスチックに入った飲み物なんて子供心にえらく気持ち悪く感じたものだ。
北海道で生まれ育ったので、冬、学校からの帰り道、喉が渇くと雪を頬張ったりツララをなめながら帰ったものだ。
しかし、これもその頃からだったと思うが、雪やツララの中に黒い粒々が入り込んでしまって口にすることができなくなっってしまった。
これはおそらくタイヤのゴムや、スパイクタイヤの鉄粉などだったと思う。
今は、水は特殊な装置できれいにしないと飲めないようになり、雪も頬張れなくなり、海に潜ればマイクロビーズ、空を見上げれば宇宙ゴミ、どこをみても大変な状況だ。
手をこまねいて見ているだけではどうにもならない。
明るい未来をみんなで共有できるようにしたい。
得意なフィールドでできることはある。
それは、森の香りがする庭をつくること。
今の子供たちに知ってもらいたいし、これから生まれてくる子供たちのために残しておきたい。
森の香りがするということは、森に棲んでいる菌糸や小さな生きものたちがいるということ。
彼らがいて、土や岩石があり、木が植えられ、雨が降り・・・そうすれば自然の浄化は促される。
開発はどんどん進んでいく。
そこにもともとどんな木があったのかがわからなくなってしまう。
だから、住んでいる地域に自生していたであろう育てやすい木々を庭に植えていきたい。
そうすれば、もともと、それらの木を拠り所としていた様々な生き物たちももどってくることができるから。
命が豊かになれば、命のつながりが網の目のように広がれば、自然は回復してくれるから。
ひとそれぞれに好みがあるから、庭には好きな植物を植えたくなる。
好きな植物を愛でるのはすばらしいことだからそれはそれでいいと思う。
ただ、それだけではなく、その地で自生していた木々を庭の軸(主木)として作っていくことでこれからの子供たちに残せる庭となる。
私が、赤土を捏ねてファイアーピットや炭焼窯をつくったり、石を積んだりするのも根底には同じ思いがあります。
誰もが自然素材を自由に使い、工夫していろんなものを作れることを庭に残しておきたいのです。
何かを作ろうと思ったら、プロフェッショナルに依頼したり、大手メーカーの製品を組み立てることでしかそれを実現できないのではないかという思い込みを植え付けたくないんです。
庭を命豊かなものにするのには、大金は必要ありませんし、年数をかけて特殊な技術を身につける必要もありません。
粗朶(木の枝など)や石、土などがあれば誰にでもできるし、そうじゃなければ何かがおかしいんです。








人間が何かしらちょっとしたことをしたら、自然が力を貸してくれます。
ちょっとした水たまりをつくればカエルやヤゴも勝手に戻って来てくれます。
人間がちょこっと何かをやって、自然もその後にたくさん力を貸してくれて、その繰り返しで命は豊かになり、自然は回復していく。
また再び、湧き水や地下水を飲んでも健康に害のない地球にしたい。
そんな地球を後世に残したい。
沖縄にきれいな自然を残したい。
住宅地とかすでに開発されてしまっているところには、森の香りがする庭を作って残していきたい。





  


Posted by 艸木 at 13:44Comments(0)