てぃーだブログ › 沖縄の石、土、木、庭のブログ。

2023年09月09日

9月9日の記事



屋根に竹をのせました。
棕櫚縄で竹を括り付けていきます。
棕櫚縄は使う前に水に浸しておきます。
そうしないとギュッと締まらないし、扱いにくいです。





竹の隙間が狭くて棕櫚縄を通せないときは、鋏とかを差し込んで隙間を広くして通します。




昔読んだ本で佐野藤右衛門さんが「棕櫚縄は使う前に水で浸しておく、それが日本の伝統や。」みたいなことを言っていました。
長い間、伝統と権威権力をひとまとめにしてしか見れなかったものですから、その頃は素直にその言葉と接することができませんでした。
生きていくことに必要だったり役だったりすることが伝統として引き継がれています。
あっ!そんなことなの!っていう、ほんと、わかればどうということの程でもないことですが、知らないとどうにもできないこと。




突然ですが、きれいな海!
「これは直に接したい!」ということで砂浜に降りてみました。









人のためのビーチではないので、砂浜に降り立つには写真のような原生林みたいなところを搔い潜って行きます。
クチャの上にはたくさんの落ち葉。
どんどん歩いて行くと、次第にクチャと海砂が混ざり合うようになり、アダンも多くなってきました。
そこにも変わらずたくさんの落ち葉がありました。
そして、砂浜に降り立ち、海に向かうと・・・。





一番初めにお出迎えしてくれたのはウツボでした。
浅瀬を泳いでいたことに驚きましたが、出会えたことに感動!





ヤドカリもたくさんいました。
数百匹どころか数えきれないほどのヤドカリの子供たちが群れをなしていました。
アダンもあるし、食べるには事欠かないということでしょう。
他にも魚やカニ、名前もわからない生き物たちで溢れかえっていました。
この多くの生き物たちを育んでいる一つの要素として、豊かな山林があります。
山での生き物たちの活動による落ち葉や微生物などのおかげで多くの養分を含んだ水が海へと流れていくことがどれほど海の生き物たちにとっての滋養となっていることか。
ちょっとイメージしてみてください。
ここの海に接している山が、更地にされてすべてコンクリートやアスファルトで埋め尽くされ、落ち葉もないような景観を。
そのことにより、海はどうなってしまうのかを。

山も海も川も、地球に棲む多くの生き物たちも、人間もひとつながりの命です。
人間が山や海の健康を損なうようなことを行えば、いずれそれは人間自らに返ってくることは、明らかなこと。

多くの人間が自然と共に、自然と共に生き、暮らしていた頃もありました。
今は個人の目先の利益が優位となり、全体との調和を気にかけることが少なくなったと感じるのは私だけでしょうか。
もちろん、全体の調和を優先し、個人を犠牲にすることはあってはなりません。
個人個人が生涯にわたり自分で自分の内面を成長させることは最重要と言ってもよいのではないかと私は思っていますので、全体のために自分の内面の成長を放棄するようなことはNOなのです。
全体のことと個々のことのバランスは大切です。
健康であったり、明るく元気であったり、暮らしやすく信頼できる社会であったりすることは、個々人が自らの内面と向き合い成長させるためによい環境を整える、基盤をつくるということになるのではないかと私は考えています。
成長のためにはしばしばネガティブな出来事が必要となりますが、その壁に対峙するとき、そのような基盤があるのとないのとでは向き合い方が違ってくるのではないでしょうか。
そうした基盤づくりの一環としての庭づくりであったりもするのです。
自然環境をよくするために技術的にあれをしようこれをしようというのは、やろうと思えばできるものです。
それをするときに、自己の内面の成長を置き去りにしてはいけないのです。
その両方を意識して行えることが心のこもった仕事と言えるんじゃないかなぁ思うのです。









豊かな自然は一朝一夕になったものではありません。
永い年月をかけて自然が作り出したものです。
たくさんの時間といろんなことがあって作られたのが今私たちが目にしている愛ある自然の姿。









  


Posted by 艸木 at 12:29Comments(0)

2023年09月05日

門づくり



門を作っています。





なるべく手近にある少ない材料で、不要の手間はかけないで。
そう考えて作るとこんな骨組みに。
昔からあるようなカタチになってしまった。

少ない材料であれば、資源を節約し大切に使うことができるし、余剰は他の人たちと分け合うことができる。
手近な材料であれば環境への負荷も少なくてすむ。
不要な手間をかけず余力ができれば他の誰かのために手間をかけることができる。

自然の恵みを大切に使う、
自らの人生の時間を価値あるものとして大切に使う、
思いがカタチになる。

防腐処理された丸太を使うなどの妥協はあるが、今の時点でできる限りのことはやっていきたい。
少しずつバージョンアップを繰り返していくことしかできないのですから。
  


Posted by 艸木 at 14:06Comments(0)

2023年09月03日

土塀



土塀といえば屋根をかけて雨で土が崩れるのを防ぐ作りをしているものがほとんどなのではないでしょうか。
屋根をかけるとその分予算がかかってしまうので、工夫をして安くで土塀を楽しみたい。
というわけで、赤土に藁や石灰などを混ぜて土を固め、雨に打たれ強くしてみました。





泥団子をのせて作っていきます。





土塀に飾り棚をつけてみました。
その時の気分でいろいろと飾ると楽しそうです。






屋根をかけずに石灰などで固めただけです。
先日の台風6号も経験しましたが無事どうということもなくです。
土塀に興味のある方、実物に触れてみてください。
好き嫌いはあると思いますが、土塀に入るヒビや石灰がしみ出した痕跡もいいもんです。
なんかこう、土や石灰も生きているんじゃないかと思える温もりのように感じるんです。
年をとると、シワや白髪が増えたりしますが、人生の苦楽を身体に刻み込んでいい味になっているのと似てるなぁと思うわけです。


  


Posted by 艸木 at 13:32Comments(0)

2023年08月28日

虹亀商店さんのパーゴラ



虹亀商店さんでパーゴラ作りです。
パーゴラは店主さんの長年の夢だったとお話しくださいました。
パーゴラの脇にはブーゲンビレアを植えました。
やがてブーゲンビレアのアーチができることでしょう。



















パーゴラをくぐり抜けるだけで何だか楽しい気分になってきます。
お越しになるお客様は、パーゴラやこれから育っていくブーゲンビレアのアーチがあるこの小道を通るだけで明るく楽しい気持ちになることでしょう。
虹亀商店さんの庭では、夢の実現のお手伝いをすることができたことに喜びと感謝、幸せ、充実感で気持ちが満たされました。

パーゴラの後ろにはアコウの大木が琉球石灰岩を抱き沖縄の自然を守ってくれています。
道路と宅地に挟まれて残された小さな場所ですが、アコウをメインにヤブニッケイ、トウツルモドキ、シダ類などが頑張ってくれていました。

さぁ、次はあなたの夢の実現のお手伝いをさせてください。


















  


Posted by 艸木 at 12:09Comments(0)

2023年08月23日

アマミアラカシ



ドングリ好きの皆さま、アマミアラカシあります!
アマミアラカシは石灰岩地で育つことができるので沖縄県南部でも植えることができます!
大きくなりますので植える場所はある程度広さがあった方がいいです。
ドングリってだけでテンションが上がります。
興味のある方、ご連絡くださいませ。
植え場所、植え方、アドバイスは無料ですので。

開発が進み、どんどん木が減っています。
減ったものは仕方がない。
かわりにどんどん植えて増やしていくしかないのです。

ドングリの木があると子どもたちも喜びそう!
きっと、おとなも楽しめます。
「わーい、ドングリだ!」ってなるもんね。
  


Posted by 艸木 at 12:53Comments(0)庭の楽しみ

2023年07月10日

7月10日の記事



庭から外を眺めます。
庭があって
藪(ヤブ)があって
山があります。

藪は土地が荒れているということ、愛情不足な状態。
この藪にはオオバギやギンネムなどが生えてきていて、このまま何もされなければ長い年月をかけてゆっくり林へと移行していくのかもしれない。
そうやって命豊かな環境へと育っていくのだと思う。
それを待つのも一興かもしれないが、土地の所有者さんがおりますのでどうこうというものではありませんし、
荒れた隣地を見ながら庭で過ごすのは何とも落ち着かないもので、
板塀を取り付けることに。





庭のあちこちから見て板塀の高さを決めます。
ちょっと高めですがこれより低いと藪感が強くでてしまうのでこの高さで決定。
まずは柱を立てて
野地板を付けるための胴縁を取付けます。



野地板を打ち付けていきます。
藪が隠れました。



山が庭の一部に思えるように、緑色の塗料を塗りました。
庭に植えたイスノキやタブノキ、ヤブニッケイ・・・
藪に生えているオオバギ・・・
山に生えているタブノキやヤブニッケイ、クロヨナなどと
ひとつながりの命

藪は藪の役目を全うしている。
藪が邪魔だと排除してしまうのではなく、
藪があるからこその景色となるように板塀の出番となりました。
庭と山を藪と板塀がつないでくれています。




昔、金子みすゞの詩に「蜂と神さま」というのがあるから読んでごらんと、とあるお方がお教えくださいました。

蜂はお花のなかに
お花はお庭のなかに
お庭は土塀のなかに
土塀は町のなかに
町は日本のなかに
日本は世界のなかに
世界は神さまのなかに
そうして、そうして、神さまは、
小ちゃな蜂の中に。


今回作った板塀ですが10年ももてば十分といったところでしょう。
朽ちてきたらまたその時に見合ったもので作りかえればいい。
それは庭に愛情をかけられるよろこび。
無関心ではいられない、
大丈夫かなぁとか
気にかけて様子を見る
庭ってそういうものだと思います。



  


Posted by 艸木 at 08:49Comments(0)

2023年06月17日

6月17日の記事



アオスジアゲハの幼虫です。






庭のちょっとしたところに蛹となったアオスジアゲハを発見します。
この蛹は先日の大雨で流されてしまい悲しくなりましたが、別の蛹は無事でいてくれたことに慰めらています。







今年はたくさんのアオスジアゲハが庭を飛び回っていました。
お目当ては、食草となる庭に植えたヤブニッケイやタブノキ。
木を拠り所としている生きものたちがいます。
木があれば、生きものたちは戻ってきてくれます。
我が家の背には須久名山(須久名森)があります。(塀の後ろに見えるのが須久名森です)
その森に自生している木にはヤブニッケイやタブノキもいます。
人も木も虫も、たくさんのいきもの達がすこやかに暮らしていけるような環境にしたくて身近なところで自生している木を庭に植えています。
もともとそれらの木たちと生き生きとそこで過ごしてきた生きもの達がいたのだから。
その地に自生していた木を植えることは、少しでも自然の元気を取り戻すことにつながるのではないでしょうか。

最近手がけた3っつの現場、偶然にも、その庭の隣の土地が伐開されていました。
いずれも、その土地の持ち主さんにお声をかけて伐採された木を庭づくりに使わせてもらいまいた。
何とかして、新しい命につなげていきたかったからです。

随分と前の話になります。
車で道を走らせていると、あちこちで開発地を見ることができます。
木々を伐採し、山を削り・・・、完成したらその地とは縁もゆかりもない木々を植えるということが繰り返されています。
これではいかん、何とかしなければと思いまして、
残せる木は残しましょう、開発前に苗木など保護できる木は移植して、開発後にその木を緑地帯に戻してあげましょうということをやりたくてパンフレットを作ったことがありました。
そのパンフレットを持って、役所や開発業者さんなどに行くわけですが、そこでわかったことは「開発地は更地にしなくてはならない」ということが法律で決められているということと、「安全管理などのために苗木の保護や移植をさせることはできない」ということでした。
無知ってこわい。
パンフレットたくさん作ったのに。
それでもって、まだあきらめずにやっているわけですが、何とかならないだろうか何とかしようということでの「今」です。
前述のアオスジアゲハに戻りますが、
タブノキやヤブニッケイを植えることでアオスジアゲハが来てくれるということ、
それは人間が木を植えるとか自然に何かしらちょっとしたことをする、
それに対して、自然が応えてくれているということだと思うのです。
タブノキやヤブニッケイを植えた私に、自然はアオスジアゲハを通して返事をしてくれているのだと思うのです。



  


Posted by 艸木 at 10:44Comments(0)

2023年06月15日

6月15日の記事



虹亀商店さんの庭です。
ゴールデンウィーク明け、入荷した芝生を張りに行った時の写真。



足もとを見るとタンポポ。
虹亀商店さんの広い芝庭にいるといろいろと考えさせられることがあります。

ここ数年、人工芝の依頼を受けることが増えてきています。
マイクロプラスチックをこれ以上増やしたくはないので、お客さまにはその旨をお話ししてお断りしているのが実情です。
理由をお話しすれば、人工芝を張ることを再度検討しなおしてもらえるのではないだろうかという希望をたくしつつではありますが・・・、

庭のプランをたてるとき、当たり前のことですがお客さまのご希望を伺います。
「カッコよくしてください」
「オシャな感じに」
「センス良く」・・・、
さらに「手間のかからない、維持管理の楽な庭。」
ほぼ、100%、こう言われます。
まずは美醜の問題です。
これ、美しいとか醜いとかをどの立ち位置で眺めて決めるのか、その立ち位置を確認させてもらわないことにははじまりません。
もっと言うならば、庭を持つとはどういうことなのか、その責任とか歓びとかそういうこともひっくるめて考えていかなければならないのですが。
庭の維持管理を楽にするために人工芝を張る。
雑草を取るのが大変だからコンクリートやアスファルトで土を覆う。
そうすると、雑草が生えないきれいな庭になったねと言って喜ぶ方もいらっしゃいます。
人工芝を張れば、マイクロプラスチックが増えます。
コンクリートやアスファルトで土を覆えば、自然は弱っていきます。
いきもの達や自然を弱らせ苦しめることを「美」と感じてしまって良いのでしょうか。
当然、そのツケは私たち人間に返ってきています。
大地に水と空気が循環し、木々が生き生きと育ち、多くの小さな生きものたちが戻り、自然が元気を取り戻す姿。
それこそが美しいと言えるのではないでしょうか。
そうなれば、その生き生き元気は当然私たち人間に返ってきます。
その姿が庭にあるということは、庭に手間暇をかけることを避けられません。
でもね、その手間暇をかけられるということは、最高の歓び、至福のひとときであることに気づいてほしいのです。
地球を元気にする積極的な参加者であることはこの上ない歓びのひとつなのではないでしょうか。
これは庭を持つ人が味わえる醍醐味なのです。
それをね、手間のかからない楽な庭にしたいなんて言っていたら人生勿体無いです。
そう書いていると、「楽」の基準もちゃんと吟味しないといけないことのひとつだなと思いましたが、今日はこの辺にしておきます。




話しを虹亀商店さんの庭に戻します。
木の根元の土がむき出しだったので雨で流されないように芝でカバーしてきました。













台風2号通過後も何事もなくホッとしております。
虹亀商店さんの庭はおおらかな感じがして心地いいです。



  


Posted by 艸木 at 16:11Comments(0)

2023年06月14日

6月14日の記事



作庭から11年目を迎えた浦添の庭です。
ちょっとした打ち合わせで久々にお伺いしました。
木々に囲まれた庭に入ると住宅街であることを忘れてしまいます。
積もる話にあっという間に時が過ぎました。

アスファルトやコンクリートで覆われた住宅街にこんな庭をどんどん増やしていきたい。
ここは、私が沖縄に来て間もない頃はまだたくさんの木々が残っていました。
数十年前、森が残るこの場所を気に入ったご夫妻は、この地に家を建てることにしたそうです。
それから時が経ち、ここに森は残っておらず・・・ということになっております。
あぁ~、住宅街の庭を森にしたい、都市を森にしたい。
もともと自生していた木々を植えたい。
いきものたちが戻ってきて、命豊かな場所に人が住めるようにしたい。
人間もひとつながりの大きな命の参加者なのですから。





  


Posted by 艸木 at 17:52Comments(0)

2023年06月03日

6月3日の記事

未来の子供たちにきれいな地球を残したいという思いから、今日は、自然が目の前でどんどん汚されていくのを見て経験した私の昔話です。
私が幼稚園生くらいの頃までは、親戚が農家だったので、田植えの時期になると普段は公務員やサラリーマンをしている親族も田植え休暇をとり、総出で、もちろん手植えで田んぼに稲を植えていた。
小学生になる頃には、トラクターが活躍し始め、田植えや畑を耕すということは機械がするようになり、親族総出の田植えの行事はなくなってしまった。
それまでは、人の糞尿を畑にまくという江戸時代かいつの頃からかはよくわからないけど、昔からの方法で農業が営まれていた。
なので畑の臭さは強烈だった。
寄生虫がいるからと、サラダや生野菜を食べる機会もあまりなかったように思う。
機械化がはじまり、農薬や除草剤、化学肥料を使うようになり、それを追うように暮らしも変わっていった。
飲み水や生活用水はずっと地下水を使っていたが、小学2、3年生の頃だろうか、
水道が普及し始め、除草剤や農薬などの影響で地下水は飲んではいけないということになった。
ペットボトルに入った飲み物が出始めたのもそのちょっと後だ。
プラスチックに入った飲み物なんて子供心にえらく気持ち悪く感じたものだ。
北海道で生まれ育ったので、冬、学校からの帰り道、喉が渇くと雪を頬張ったりツララをなめながら帰ったものだ。
しかし、これもその頃からだったと思うが、雪やツララの中に黒い粒々が入り込んでしまって口にすることができなくなっってしまった。
これはおそらくタイヤのゴムや、スパイクタイヤの鉄粉などだったと思う。
今は、水は特殊な装置できれいにしないと飲めないようになり、雪も頬張れなくなり、海に潜ればマイクロビーズ、空を見上げれば宇宙ゴミ、どこをみても大変な状況だ。
手をこまねいて見ているだけではどうにもならない。
明るい未来をみんなで共有できるようにしたい。
得意なフィールドでできることはある。
それは、森の香りがする庭をつくること。
今の子供たちに知ってもらいたいし、これから生まれてくる子供たちのために残しておきたい。
森の香りがするということは、森に棲んでいる菌糸や小さな生きものたちがいるということ。
彼らがいて、土や岩石があり、木が植えられ、雨が降り・・・そうすれば自然の浄化は促される。
開発はどんどん進んでいく。
そこにもともとどんな木があったのかがわからなくなってしまう。
だから、住んでいる地域に自生していたであろう育てやすい木々を庭に植えていきたい。
そうすれば、もともと、それらの木を拠り所としていた様々な生き物たちももどってくることができるから。
命が豊かになれば、命のつながりが網の目のように広がれば、自然は回復してくれるから。
ひとそれぞれに好みがあるから、庭には好きな植物を植えたくなる。
好きな植物を愛でるのはすばらしいことだからそれはそれでいいと思う。
ただ、それだけではなく、その地で自生していた木々を庭の軸(主木)として作っていくことでこれからの子供たちに残せる庭となる。
私が、赤土を捏ねてファイアーピットや炭焼窯をつくったり、石を積んだりするのも根底には同じ思いがあります。
誰もが自然素材を自由に使い、工夫していろんなものを作れることを庭に残しておきたいのです。
何かを作ろうと思ったら、プロフェッショナルに依頼したり、大手メーカーの製品を組み立てることでしかそれを実現できないのではないかという思い込みを植え付けたくないんです。
庭を命豊かなものにするのには、大金は必要ありませんし、年数をかけて特殊な技術を身につける必要もありません。
粗朶(木の枝など)や石、土などがあれば誰にでもできるし、そうじゃなければ何かがおかしいんです。








人間が何かしらちょっとしたことをしたら、自然が力を貸してくれます。
ちょっとした水たまりをつくればカエルやヤゴも勝手に戻って来てくれます。
人間がちょこっと何かをやって、自然もその後にたくさん力を貸してくれて、その繰り返しで命は豊かになり、自然は回復していく。
また再び、湧き水や地下水を飲んでも健康に害のない地球にしたい。
そんな地球を後世に残したい。
沖縄にきれいな自然を残したい。
住宅地とかすでに開発されてしまっているところには、森の香りがする庭を作って残していきたい。





  


Posted by 艸木 at 13:44Comments(0)

2023年06月01日

6月1日の記事



炭焼窯を作っています。
材料は赤土、砂、石灰、海水。
自然に返せる材料だけです。



作り始めの頃。




炭焼窯には屋根をかけないつくりにしたいので赤土に石灰などを混ぜて作っています。
少しずつ少しずつの進み具合。




石は売るほどあるので使えそうな石は何でも使ってます。




窯の天井がふさがりはじめたところです。







もうちょっとで天井がふさがる。ニコニコ
これを応用すれば、ピザ窯や庭の一画に小さな隠れ家なんかも作れそう。
他にもあれもこれもと次々にアイデアが湧いてニヤニヤがとまらない。








  


Posted by 艸木 at 16:50Comments(0)

2023年05月10日

5月10日の記事



木を植えるとき
粗朶や炭などを使い土の中の空気や水の循環を良くし
菌などの微生物や小さな生きものたちが喜ぶ環境がつくれると嬉しくなる




石積みもそう
石の隙間は空気や水が循環し
小さな生きものたちも棲みやすくなる
こういうことができると、自然、地球、宇宙といった大きな命の一員として積極的に参加できているような気持ちなり、私の命は喜びに満ちてくる。


子供や孫、今の私が出会うことはない未来の子供たちのために
すこしでも地球をきれいにしておきたい
すこしでも命豊かな自然を増やしておきたい
これが今の私の原動力のひとつです

そしてもうひとつ
今の世界がそれとは真逆に進んでいる
その根っこにあるものを多くの人たちと一緒に理解していきたい
今の社会は人間の思考によって作り出されています
すばらしいものもあれば
腐敗した社会とでも言いましょうか、利己的で、狡猾で、残酷なものなどもたくさんあります
思考はいつも比較相対の世界にいて
比較することは思考の能力となる
善悪、優劣、損得・・・
必ずいつも対照的なものがコインの裏と表のように一組になってしかあらわれないのが思考の世界
だから思考が作り出す世界は、喜ぶ人がいるとき、必ず苦しんでいる人がいるということになる
これが思考が作り出している今の世の中の姿

私たちは小さな頃から、よく考えるようにとしつけられてきた
よく考え、どうやったら自分にとって、あるいは自分の身近なことについて、有益となるかをだ
だからもし、自分にとって有益なことが実現したとして
その裏側で、あるいは自分が気づかないところで苦しんでいる人を生み出していることになってしまう

私たちは、思考について全く理解しないまま
何千年も歴史に人間の生きざまを刻んできたのです
私は多くの人達が思考についての理解をすすめていかなくてはならない時期に来ていると感じています
知ってほしいのです
気づいてほしいのす
私たちひとりひとりの内面には
思考と思考ではないもの、それを見分け観察できるものがあることを
思考ではないものは
うわぁー、やってみたい!とか
ワクワクする!とか
思考が起こる前の湧きおこる気持ちのようなもの
この世界には比較相対の感覚はないのです。
自他の別もないから、ひとつながりの大きな命の中にある状態です。
だからその世界では苦しみ続けるということができなくなる
もし苦しんでいる人がいるとしたらすぐに誰かが「大丈夫?」とそばにきてくれるから。

知ってほしいのです
大きな命とひとつながりとなって生きる喜びを

百人いたらそれぞれ命輝くことは違うはずです
自分の命が喜ぶことは何なのか、自ら感じてください
何かに頼るのではなく、自分の内にそれはありますから
あきらめずに、根気よく、気をつけて、気づいてください
特別なことではなく
誰にでもできることですから大丈夫です
ただ、木が花を咲かせる時期があるように
あなたのタイミングでそれは見つかりますので
あきらめずに、自己の内を見続けてください
木が花を咲かせるためには、たくさんの栄養と、ある程度の成長が必要です。
あなたにとっての栄養は、いいことも辛いこともある人生経験です。
いろんな経験がすべて栄養になります。

思考はそれぞれの人が感じる命の喜びをこの世界で実現するための補佐役でることを知ってください。
思考は敵ではなく、この世界で生きていくための重要なパートナーです。
今の社会は、その補佐役である思考が、自分の役目を理解せず、自分が主であると信じ込みつくり出したものです。
思考がそのことを理解すれば、本来あるべき姿になります。


子や孫、未来の子供たちのために
命豊かな自然を増やしたい
すこしでも地球をきれいにしたい
ここまで自然を破壊し、人間が人間の自由を奪い、苦しめる社会をつくってしまった人間の内面の理解を多くの方々と進めていきたい
これからはそんな内容が多くなるかと思います。
お嫌でなければどうぞお付き合いくださいませ。










  


Posted by 艸木 at 16:23Comments(0)

2023年05月02日

虹亀商店さんの命をつなぐ庭 (命が循環する庭)



自宅からすぐ近くのお客さまから植栽のご相談。
紅型雑貨 虹亀商店さまです。




打合せにお伺いしますと伐開された隣地がありまして




そこには伐採されたたくさんの枝や幹。
所有者さんの許可を得て、それらをつかって木を植えることになりました。




滑り台の横にブーゲンビレアを植えたいというリクエスト





こんな感じの仕上がりです。




ここにはサンダンカとアラマンダを植えることに。




まずは植える場所をこんな感じにしまして。




そこに木を置いて土を盛ります。




階段の横は、バナナをモンパノキに植替え、フクギも手前に植えることに。



伐採された木。
こうして命をつないでいけると嬉しくなる。
私の命が喜ぶんだよね。


  


Posted by 艸木 at 08:14Comments(0)

2023年04月10日

4月10日の記事



明日、4月11日お昼頃から焚火用の炉というかカマドというかそんな感じのものを当方の敷地でつくります。
今日は夕方から琉球石灰岩で写真のような炉の土台をつくりました。
明日の午前中は土台作りの続きをして、お昼頃から土を練って炉づくりをします。
ご興味のある方、ちょっぴり体験してみたい方がいらっしゃればご連絡の上お越しください。
特に保険などはないので、ケガなどは自己責任でお願いいたします。(乱暴ですみません)
作業的にはゴム手袋があるといいです。
赤土に石灰や藁を混ぜて泥団子にして炉をつくります。
興味のある方には面白がっていただけるかと。

ご連絡はatliresoumoku@yahoo.co.jpまでお願いします。  


Posted by 艸木 at 19:12Comments(0)

2023年02月20日

庭の喜び #2

雨が降り、川となり海となる。
雨は山、人里、町の土中を浸透し川や海に流れ込む。
あるいは、土の表面を流れそのまま川や海へ。
そして、雲になり、また雨に。

あたりまえの水の循環。

私は水道が普及しはじめようとする頃に幼少期を過ごしたので
地球がろ過してくれる水の美味しさを知っている世代のひとりです。

農薬や除草剤に限らず、人間がつくり出した多くのものが土壌や水を汚してしまい、
飲むことができる湧き水や地下水はずいぶんと少なくなってしまった。

水を汚染し続けるなら地球のいきものたちも健康を損なうのは当然で、
もちろん私たち人間もそのなかの一員。

地球規模の自然破壊や環境汚染を目の前にすると
一個人としては、あまりに非力でできることは何もないなどと思うこともあるかもしれない。
しかし、決してそんなことはないのです。
それぞれの立場でいろんなことができることを知ってください。
もし庭をお持ちの方であれば、その庭を地球の「ろ過装置」とすることもできるでしょう。
土中への水の浸透、水と空気の循環を考え、
土の中に炭や枝葉などの有機物や小石や礫などを入れ込めば立派なろ過装置のできあがりです。
それがうまく機能しているかどうかを確認することもできます。
うまく機能していれば、植えた木々は元気に育ちます。
あわせて、土をむき出しにせず、落ち葉などで覆います。
すると、いい菌が発生し、森の中のようないい香りがしてきます。
こうなれば、しめたものです。
その庭を浸透した雨水は、空気を動かしながら養分を含み浸透していってくれますので、
地中の生命活動も豊かになってくるでしょう。
その水が川や海へとつながれば、海の生命活動も豊かになります。
もうおわかりですね。
幸いにも庭があるという方は、地球のすこやかな循環、水の浄化ということに積極参加ができることに。
庭の木々もすこやかに育ちますので、空気もきれいにしてくれますし、
鳥などのいきものたちも喜んでやってくるようになるでしょう。
庭はいのちを豊かにしてくれます。

「地球」と「たくさんのいのち」の循環をすこやかなものにしていくことができるのも庭です。
庭に小石や礫、炭、枝葉などの有機物を入れ込む。
土をむき出しにせず落ち葉で覆い、いい菌を育む。
こんな簡単なことですこやかな循環がつくれるのです。
こういうことは、身近なことで、すぐにやれることなのです。
沖縄には数えきれないほどの家が建ち、数えきれないほどの庭があります。
すべての庭がそうなったらと思うとワクワクしてきます。







写真は石垣で土留めをした庭です。
コンクリート擁壁での土留めが主流となっていますが、コンクリート擁壁は空気と水の循環を遮断してしまいます。
自然を大切に考え、はじめから石垣を希望されていらっしゃるお客様でした。
駐車場もコンクリートで塞ぐことをせず、転圧したクラッシャーランの上に琉球石灰岩の砂利を敷いてつくりました。
土地が呼吸できるようにすることは、すこやかな循環をうながします。







  


2023年02月08日

庭の喜び #1

私が子供の頃、建設反対の声もあがる中、泊発電所(原子力発電所)の建設が進められることとなりました。
今思えば、このことは私が地球の環境ということについて初めて考えるきっかけとなるできごとでした。
それから社会人となり、自分は何をしたいのかを探しながら、長いこと職を転々とすることになります。
「地球を大切にすること」
「自分がやりたいこと」
その合流地点が「庭」でした。
各家庭の庭が大切にされれば、地球も大切にされるだろう。
そんな思いで庭の仕事をはじめたのです。
それから20余年、庭が好きで、庭を大切にしたいと思う人たちとの出会いもあり、庭は雑事をこなさなければならない面倒な場所と思っている人たちとの出会いもありました。
実際に仕事をしてみると、後者の方々との出会いが圧倒的に多いのが現実でした。
これじゃ、地球を大切にするなんてほど遠いことだと打ちひしがれたことも何度もあります。
「庭や地球を大切にする」「地球にやさしい暮らしをする」「庭と地球を愛する」のは人間にとって何でそんなに困難なことなのだろうか。みんな言葉では理解できているんです。でも何でだろうと追究していくうちにあることに気づいたのです。勿論、仮説ではありますが。
庭を大切にすることは、地球を大切にすること。
地球を大切にすることは、庭を大切にすること。
それはそれでいいのだが、「庭」と「地球」だけではなく「自分自身」ということが抜けていたんですね。
ひとりひとりが自分の中に持っている「心という庭」が抜けていたんです。
自分を大切にできてはじめて庭や地球を大切にできるんです。
自分を大切にできなければ、庭どころじゃないんです。
たくさんのストレスを抱えたまま日々を過ごし、そのストレスに向き合いケアをすることもなく、ストレスを無視したり、抑えつけたり、スマホやテレビなどでごまかしたりしていれば、心の中は荒れ放題(心の庭は雑草で荒れ放題)となってしまっているのです。
そんな心の状況では、庭なんて面倒くさい厄介者としか思えないこともあるかもしれません。
そうなってしまうと庭や地球を大切にするなんてことは、言葉ではわかっていてもそれどころじゃないでしょう。
まず何よりも、自分のことを大切にする、自分の心の庭のお世話をするということが大切になります。
庭のお手入れをしながら自分の心のお手入れをすることもできますし、その方法もあります。
心・庭・地球のお世話をするって気持ちのいいものです。
もちろん、その途中途中でしんどいこともありますが、結果、スッキリします。
たくさんの人たちが自分自身のお世話をして大切にし、それが隣りの人や庭や地球にもひろがりをみせるのなら幸せです。
そのようなわけで、これからは庭を通して私がこれまでに感じてきたことを少しずつ書きとめていこうと思います。  


2022年11月23日

赤土と琉球石灰岩の塀



沖縄の赤土と琉球石灰岩の塀です。
どんなの土の配合でカタブイや台風に耐えられるかの実験なので塀に屋根は付けず雨ざらしです。

庭を作りかえようなんて時は、赤土は水を混ぜて捏ねればまた使えるし、琉球石灰岩も繰り返し使える。
もし不要になってもそのまま土に返せばいい。








土はまだ全然乾いていない状況で、今日の雨は嬉しい!
どうなるか楽しみだ。





塀の一番下の石は四角っぽくして並べたいので割っていきます。






割りたいところに線を入れて割っていきます。





四角っぽくしたら並べます。


あとは適当に土と石を重ねます。
  


Posted by 艸木 at 16:48Comments(0)庭の楽しみ

2022年11月10日

雨の日の庭



石垣越しに見る庭。
雨の日にのんびり庭を見るのもいいものです。
次はどうしようか、ああしよう、こうしようと想像しながら楽しんでおります。




石垣から奥の方をのぞき込むとテラスの一部がちょっとだけ見えます。
自然に囲まれ安らぎを味わえるのが庭のいいところ。
庭ってやっぱりいいなぁ。







  


Posted by 艸木 at 10:42Comments(0)庭の楽しみ

2022年10月13日

名護市N邸の石積み



N邸での仕事が完了しました。
まずは石垣から。




玄関を開けると石垣のお出迎えです。




歩みを進め玄関ポーチへ。
(突き出た塩ビ管は後日水道屋さんがカットしてくれます。)




ワンちゃん達が飛び出さないように木製のドアを付けました。




ドアはセランガンバツの既成材を割いてつくってます(軽くするためです)。
階段を付けたのは当初メッシュフェンスを取り付ける予定だった基礎を隠すためですが、雰囲気も良くなるので一石二鳥。




ここは海も山も夕日も見えます。
凪の日の、鏡のような海がとても印象的でした。
私の内面もそうなればよいのですが、なかなかです。




ちょっとした石を据え、Nさんが育てていた可愛らしいプルメリアを植えました。




バスルームからです。
海も見えるのですが、その角度から撮り忘れました。




リビングからです。




2階から。




上から見るとこんな感じです。




外観です。




施工前の状況です。





中庭は植物大好きな奥さまの温室となっております。ベー





外観はプルメリア。
Nさんが育てていたアテナータも植えました。
土が出ている部分は、Nさんが好きな植物を少しずつ植えるお楽しみゾーンです。

「時間は気にせず、菊地さんのペースでやってください」とおっしゃってくださりとてもありがたかったです。
おかげで楽しみながら仕事をさせていただくことができました。
思い出に残る仕事ができ、とても幸せです。




撮影後、ワンちゃん達がお見送りしてくれました。ニコニコ














  


Posted by 艸木 at 08:43Comments(0)作品集

2022年09月11日

9月11日の記事

身体を壊したことを機に、庭の仕事をやめてしまいました。
残りの人生の時間を考えたとき、苦しみを生じさせるような仕事はやめ、好きなことだけやっていこうと思ったからです。
そうすると、不思議なことに大好きな石積みの仕事の依頼が立て続けに舞い込み、ありがたいことに今は石積みばかりさせていただいております。

これまで、仕事の依頼をお断りするということはまずありませんでした。
仕事のない辛さを知っていますし、何よりお客さんが喜んでくれたものですから。
今まで何度も身体を壊しましたが、そのつど自分に鞭打って何食わぬ顔でやっておりましたが、
さすがに今回ばかりはこんなことを続けていたら死ぬなと思ったわけです。
これはもう、仕事の仕方を見なおさざる得ないということに気づいたときでもあります。
身体はひとつしかありませんし、年をとって体力も衰えますし、何でもかんでもお引き受けできるキャパシティーを備えていないという当たり前のことへの気づきでもあります。

身体を壊したことで、従来の仕事の仕方を見なおさざる得なくなったわけですが、
自分の身体を使って庭づくりをできるのもあと10年くらいか・・・、なんてことを思ったとき、年3件ほどの庭を手がけることができたとしても、全部で30件くらいの庭しかつくれないわけです。
そうすると、益々、来るもの拒まずで何でもお引き受けすることが難しいようになりました。
お客さんとしても、「庭の依頼をしているのに何故に断られるの?」というわけのわからないこととなりますので、今回のブログではそのことについてお話をさせていただきたいと思ったしだいです。

庭づくりをお引き受けするにあたり、
お客さんと私に、苦しみが生じないこと。
お客さんと私に、喜びが生じ、広がること。
今は、このことが仕事をお引き受けできるか否かの分れ目となっています。
苦しみが生じるような依頼はお引き受けできかねます。
喜びが生じ、広がるような依頼は喜んでお受けいたします。
例えば、権力誇示のために庭をつくるということはよくあることで、庭づくりを業者に依頼するのは経済的ゆとりをお持ちの方ということになりますので、その方向に流れてしまうことは多々あることです。
権力の誇示なんて言うと、大仰に聞こえますが、ステイタスのための庭などというちょっとしたこともその範囲だと思います。
苦しみを生じさせるような庭のリクエストの特徴としてよくあるのが、無茶なリクエストがくっついているということ。工期であったり、物理的なことであったり、もしくはその両方であったりしますが、よく話を聞けばそれを見分けるのは無理なことではありません。
一例ではありますが、そうした庭は、お客さんにとっても私にとっても苦しみを生みだすこと以外の何ものでもないのです。
そのような場合、病院へ行って、病気になる注射を打ってくれ、命をダメにする薬を処方してくれと言っても断られるように、苦しみを生じさせるような庭づくりはお引き受けいたしかねますということになります。

美味しい料理は、みんなで分け合って食べれば、その美味しさは何倍にもなります。
ひとり占めしたり、自慢するだけならつまらないでしょう。
庭が好き、庭が楽しい、庭があることで明るく元気に毎日をおくれる。
家族や友人と庭の楽しみを分かち合いたい。
庭を通して、心あたたまるつながりをもてるのは幸せなことです。
そのような心の喜びが広がるような庭づくりは是非!喜んでお受けいたします。

前述したように、あと30件くらいの庭しかつくれないとしたのなら、その数少ない庭を喜びを生むものに、あるいは苦しみを喜びに変えるようなものにしたいのです。
石を積んで、そこに泥を塗り、屋根をかければそれで人の巣のできあがりです。
石積みや、石のテラスがある庭もそんな人の巣の延長上のものです。
そして、そこに植物を植えればもう最高です。
そこに身を置けば、人は自然の一部であること、ひとつながりのいのちであることがより明確に感じられます。明るく元気になります。
そんな庭をつくる私は、今日も平和で穏やに石を積めて嬉しいなぁとか、ありがたいなぁとか、かわいく仕上がってきたなぁなど思いながらやっているわけです。
お客さんも喜び、私も嬉しい。庭で喜びが生じ、庭を通して喜びが広がっていくんですから、もう最高じゃありませんか。
そのような仕事をさせていただけることが私の望みです。
どんな心で庭をつくるのか、それが苦しみの種となるのか喜びの種となるのかはあなたや私しだいです。



6月に完成した土留めのための石積みです。


現在手がけている現場の石積みです。
  


Posted by 艸木 at 18:17Comments(0)庭の楽しみ